縄文と現代を和える

縄文ブームが起こっています。

先日東京の国立博物館にて行われた「縄文展」も大盛況であったようですし、
縄文に関する冊子も作られ、縄文女子なる人々も登場しているとか…。

この縄文時代、知っての通り弥生時代の前、今から約2300年前の紀元前4世紀ごろまでの日本最初の文明とされていますが、
現在その研究がどんどん進められ、なんと1万年以上続いた文明であることが明らかになりました。

更にかつてこの時代の人々は原始的生活を送っていたとされてきましたが、研究が進むにつれ、狩猟採取、竪穴式住居の暮らしだけではなく、
巨大建築物の跡や道路の後、農業さえ行われていたことが分かり、
実は高度な文明であったことが分かってきています。

以前から縄文の土器や土偶は知られていましたが、文明の高さが明らかになるにつれその美術性が再評価されていますし、
彼らの持っていた精神性の高さが、それらが縄文ブームの元となっているようです。


それにしても1万年以上続いた文明を想像してみてください。

例えばこの2,000年間日本だけ振り返ってみても一体どれだけ時代が変わり続けたことでしょう。

平和な時代と言われた江戸時代でさえ250年あまりであり、長く続いた平安時代にしろ390年です。

到底1万年には及びません。

それは世界を見ても同様であり、文明の発祥といわれるエジプト文明や黄河文明の5千年前から現在まで人間は覇権争いを繰り返し、
一体いくつの国が滅んではまた勃興してきたことでしょう。

縄文の1万年続いたということは驚異的としか言いようがないわけです。

高度な文明を持ち、かつ1万年以上続いた社会となると世界史上例がないわけであり、
縄文に関心を持つ人が増えることは当然のことでしょう。

歴史マニアだけでなく、一般の人たちも関心を持ってもおかしくはありません。

ところで現在この縄文に興味を持つ縄文女子と呼ばれる人には20代の女の子たちも多くいるようです。

世の中は感性の時代とか女性の時代といわれる中、彼女たちが一番関心を持つところは、
やはり土器や土偶の姿であり、あるいはそこから想像される生活スタイルではないでしょうか?

火炎土器を見てください。

世界中を見てもあのような土器は見当たりません。

その形や模様から情熱や神秘を感じます。それが1万年前以上前に作られたとなるとなおさらです。

煮焚きに使われたともいわれますが、その美術性からするといかがなものでしょう???

そして何といってもあの土偶です。

それは火炎土器に見る情熱や神秘だけでなく、癒しがあり、異次元を感じ、宇宙を感じ、疑問を感じ、何とも不思議な感覚に陥ってしまいます。

この体育座りのような格好で手を合わせる姿を見てください。

その目、口、何とも言えない感覚に包まれます。ある意味それは現在社会と正反対の感覚といってもよいのではないでしょうか?

現在の私たちの暮らしを考えてみてください。

どれだけ時の流れが速いことか…。

日々時間に追われていませんか?

そしていつも悩みを抱えているのではないでしょうか?

お金に行く手を塞がれていませんか?

企業に縛られていませんか?

社会に押しつぶされていませんか?

国やメディアに操られていませんか?

こう考えると私たちは一体どれだけの鎖でがんじがらめにされていることでしょう。

見えない檻に入れられ、更に鎖に繋がれた奴隷のようです。

そうしてどれだけの人が精神を病んでいることでしょう。

それに比べ先ほどの土偶はどんなもの思いにふけっているのでしょう?

空を見上げ祈っているのでしょうか?

夢を見ているのでしょうか?

この土偶をはじめ一体どれだけの未知なる世界があったのでしょう?

まさに現在とは正反対ではありませんか?

思うにこの縄文を求める女性はある意味時代の先端を行く人達ではないかと思うのです。

何故なら彼女たちはある意味現在の奴隷社会に「NO」を突きつけているのであり、そこからの解放を縄文の遺跡に見ているのでしょう。

そしてまさに今社会が必要としているのはそのための変革であるからです。

それはこれまでの経済一辺倒のところとは逆方向のベクトルです。

しかしながらその時代に思いを馳せるだけではいけません。

それではそこに留まり澱んでしまうことになりかねません。

なぜなら人間は常に進化発展を求める生き物だからです。

進化のDNAが組み込まれているといってもいいでしょう。(それは宇宙の法則でもあります。)

そして今ある私たちの生活はこれまでの経済や科学の発展の上に成り立っているものです。

日本中端から端まで1日あれば行けるのも、世界中の人々と容易につながりあえるのもそのお陰です。

縄文時代の研究が進んだのもその恩恵にあずかっていることは間違いないでしょう。

一方で経済や科学が今のこの奴隷のような社会を作り出したことも間違いないことです。

そしてこの先も経済や科学、特に科学の進化は留まることを知らないことでしょう。

そこで私たちは縄文(時代)を感じつつ、現在の経済や科学の進化を受け入れその先へと進んでいかなければならないのです。

そのために必要なことは縄文時代にあった精神性の高さを再確認すると同時に、現在の経済や科学の総点検です。

私たちはどこでどう奴隷となる道を選んでしまったのか?

それを振り返る必要があると思うのです。

そして何が必要で、何が不必要なのか取捨選択し、どう縄文と現在を融合させ新たな世界を創っていくかを考えなければならないのです。

そこで私が思うことは、そこに「和える」という作業だと思うのです。

前回書きましたが、「和える」とは、異なった(性質の)ものが、お互いの形も残しつつも、互いの魅力を引き出し合いながら一つになること、つまり融合し、より魅力的な新たなものが生まれることです。

すなわち縄文の精神と科学を掛け合わせることです。

例えばそれは「生命」を認める科学だと思いますし、「(自分の)手」を使う科学だと思うのです。

それをすることによって私たちは縛られた生活から解放されると同時に、豊かな21世紀社会を形成していけると思うのです。

少し難しくなってしまいました。

まずは縄文の土器や土偶をネットからでも構わないので見てみましょう。

そして可能ならば近くにある考古学館や縄文の遺跡を訪ね、実際に見て触れてその暮らしを想像し、感じてみましょう。

そして1万年続いたその歴史や暮らしをイメージしてみてください。

そこからきっと何かが生まれてくることでしょう。

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