最近の組織の腐敗ってひどいと思いませんか?
このところ特に目立っているのはスポーツ界。野球、相撲、ボクシング、体操と不祥事が相次いでいます。
腐敗しているのはスポーツ界だけではありません。
数か月前まで政界、官僚組織と不祥事が相次いでいました。
誰が見ても「黒」であるものを「白」と言い張り、
少し前には「忖度(そんたく)」なる言葉が流行となったりもしました。
ちなみに忖度とは、本来
「他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮すること。」(コトバンク)
なのですが、
それが流行語としては「上の者の意向をおしはかること」
いわゆる「おべっか使い、へつらい上の者に気に入られようとすること」
となってしまいました。
まだまだメディアの力は大きいです。
その他企業も今やカメラの前で頭を下げるシーンを度々見ますし、芸能界も同様です。
そうそう忘れていました。大学や高校などの学校組織もそうですね。
つまりありとあらゆる組織が腐敗しているのです。特に大きいところ。本当にどうなってしまったのでしょうね。
さてこれら腐敗している組織、あるいは「個人」を見てみると、
いつもそこにちらつくのは「お金」や「権力」です。
そして以前にも書きましたが、これはいわゆる縦型社会、ピラミッド構造の終わりを意味しているのです。
そのためこれからは「手」を取り戻すことを以前書きましたが、もうひとつの見方として、
これからは「横型」「第3のカタ」へと変わって行くようになります。
そのことを今回は説明したいと思います。
その前に腐敗の原因が「お金」と「権力」にあると書きましたが、
それでは「お金」や「権力」とは悪いものなのでしょうか?
答えは「NO!」です。
腐敗している組織や個人を見てください。
結局彼らは「権力」を乱用し、そして「今だけ、金だけ、自分(たち)だけ」の独り占めの満足を求めているのです。
その欲が腐って「膿」が出てきているのです。
なのでもしあなたにお金があったとしても、あるいは入ってきたとしても、
もしあなたが組織のリーダーだとしても、あるいはなったとしても、
それを乱用して、独り占めにしなければいのです。
彼らと同じことをしてしまえば我利我利の亡者となってしまうのみです。
ではどうすればよいかというと、
まずはじめに「お金」に関してですが、そもそも「お金」には良いも、悪いもないのです。
考え方一つです。
そしてその本を考えてみれば、お金とは、
(ものなどの)循環を良くするためのものなのであり、それを通じて人とのコミュニケーションをよくするものなのです。
そこをしっかりと押さえておく必要があると思うのです。
それ故に「お金」を通じて私たち人間は進化してきた面もありますし、
進化する上で「お金」が必要だったともいえます。
けれども残念ながら現在世界は「お金」を中心に動くようになり、
そして今や人間に悪影響を及ぼすことの方が多くなってしまいました。
それ故に今未来に敏感な若者は「お金」に対する価値感をどんどん下げていますし、
それはこれから世界中がそうなっていくことでしょう。
ただし本をただせば先に書いたように、お金は「循環をよくし、コミュニケーションをよくする」手段です。
なのでそれを恨む必要はありません。
基本を押さえ、どう使うか考え、そして感謝すればきっとより良い方向に導いてくれることでしょう。
そしてもうひとつの「権力」とは、確かにそれを行使すれば、人を押さえつけること、自分がよい思いをすることも可能ですが、
それは今の社会が「外から与えられた力(フォース)」として捉えているがゆえにそう思いがちなのです。
そうではなく「権力」を「自分の内側の力(パワー)」として他者のために、社会や弱者のために使うものにすればよいのです。
そうすることであなたはより大きく成長することができるのです。
さて本題に戻り、縦型から「横型」「第3のカタ」に変わっていくということですが、
ではどのようになっていくかということ、
それは「輪」あるいは「和」の世界へと向かうということです。
まず「輪」の世界ですが、これはいわゆる円(えん、マル)の世界です。
縁とも言えますし、「一(イチ)」と言いてもよいかもしれません。
縦が終わるということですからピラミッドのように上へ上へと階段があるわけではありません。
たとえあったとしても一つか二つぐらいなものでしょう。
誰もがほぼ同じ位置におり、手をつなぎあっているわけです。
ではそれがどのように組織となるかというと、真中にあるものの求心力です。
現在の組織で言うなれば「理念」や「目的」に当たるでしょう。
それぞれが「我々は何をすべくここに集まっているのか」を理解し、それに向かって歩んでいるのです。
そしてもうひとつの「和」ですが、これは「調和」ともいえます。
「和」とは「和える(アエル)」とも読みます。私たちは普段「和える」とは、
混ぜ合わせる、ごちゃごちゃにする
という意味で使いますが、それならば「和える」でなく「混ぜる」だけでよいはずです。
「和える」には「和する(わする)」、つまり「親しむ、仲良くする」「調子を合せる」ことです。
それを(株)和えるの矢島里佳さんは
「『和える』とは、異素材同士がお互いの形も残し、お互いの魅力を引き出し合いながら一つになることで、より魅力的な新たなものが生まれること」
と言ってらっしゃいます。((株)和えるHPより)
まさにこれであり、それをより大きくしたものが「大和」です。
そしてこれを突き詰めると「神」に至るわけです。
少し話がそれてしまいそうですが、横型組織にも1段2段程度あることもあり、リーダー的存在、まとめ役ともなるでしょう。
けれども基本は理念であり、各々の上は誰か権力者がいるのではなく、そこにあるのは「天」です。
すなわち「理念」がある意味「天」でもあり、常に天に見られているわけですから、天に恥じぬ生き方でなければならないのです。
さすれば今の組織の腐敗が次々とあからさまとなるのは不思議でもなんでもありません。
自然の摂理といってもよいでしょう。
前々回で述べましたが、私たちは魂を成長させるために人生をアートするのです。
我利我利のアートは例えその人、その時はよく思えても、他者から見れば、後から見れば見るに見かねぬものでしょう。
そのようなアートを描くよりも天に誇れるアートを描くことを心がけていきませんか?