ニャン子から学ぶ子育て理論

昨年の10月末から子猫と暮らしています。全く猫を飼いたいとも思っていなかったのですが、ある日我が家迷い込み車庫でニャンニャン鳴き始めました。どんな猫なのかと思い玄関を開け鳴き声のほうに近づくと既に隠れておりその姿を見ることはできません。何度かそれを繰り返し、今度はあらかじめ玄関の扉を開けておき、鳴き始めたところをこっそり近づいてみるとバイク(原チャリ)の上に生後数週間から1か月ぐらいのまだら模様の子猫がいました。けれども子猫は私に気づくや否や壁とそこに立てかけてある板の小さな隙間へ一目散に逃げてしまいました。


この場所に居つかれるのも嫌なので追い出そうとするのですが、出ていけばさっと隠れ、家の中に入ればしばらくすると鳴き始めるということの繰り返しです。しかしあまりに鳴き続けるので煮干しでも食べるだろうかと思い、そっと近づき投げ与えるとバリバリと食べます。けれどもそれ以上近づこうとするとまた逃げてしまいます。逃げた隙間をのぞくと体を丸めて子猫ながら威嚇の姿勢で私をじっと見ています。手を伸ばせばまた別の場所へと逃げていき、もう戻ってこないかと思えば、しばらくするとまた戻ってきて鳴き始めます。その夜はニャンニャンと夜中まで鳴き続け、ようやく鳴き止んだかと思えば明け方から再び鳴き始めました。


Michal JarmolukによるPixabayからの画像


困ったものだと思いながらも、その日の午後飼う気もないのですが、なぜか子猫用のキャットフードを購入し、投げ与えておくと私のいない間に食べています。お腹が太ったらとっとと何処へでも行ってくれ、この先生き延びられるかどうかはお前次第だ、もし生き延びられなくとも私の目の届かないところでそっと…と思いつつ、その夜も子猫は鳴き続けました。朝方鳴き止んだので、まだ暗い中を外に出て再びキャットフードを猫がいるであろう付近に置いてやりました。


そして午前7時過ぎ新聞を取りに外へ出たついでに見てみると、エサを食べた様子はありません。どこかに行ってしまったのかとあたりを探してみると壁の隅っこに猫の手が…。のぞいてみると体は伸びきってそこで倒れているではありませんか。こんなところで死んでしまったか!と手袋をはめ、恐る恐る棒でつついてみると、鳴き声にもならない声でかすかな反応が…。オォまだ息がある。このまま放っておくわけにもいかないと家の中に連れて帰り、タオルで子猫を包み電気ストーブの前で温め始めました。水を飲ませてやろうにももう口を開けることもできません。小さなストローで水を口元に与えてやり、果たしてこの命は持つのかどうかと思いながら見守ることにしました。ほとんど手足や頭を動かすこともなく目は閉じられたままです。ただお腹が上下するのを見てまだ息があると分かるのでした。息を吹き返せばこれはもう飼うしかあるまい、もし死んでしまったら畑の隅っこにでも埋めてやろうと思いつつ、時々水を口に含ませてやりました。果たして子猫はどうなったかというと…、その後息を吹き返し、初めに書いた通り我が家の同居猫となったのでした。


さてその後猫はすっかり懐いて、喉をグルグル鳴らし、体を摺り寄せて、頻繁に膝の上に乗ってくるようになったのですが、同時にだんだんいたずらをし始め、家の中を走り回るようになりました。それは日が経つにつれどんどんエスカレートしていきます。それにつれだんだん腹が立つことも多くなってきたのですが、ある時からこれぞ子猫の成長ではないかと思うようになってきました。と同時にこれは人間(の子供)にも当てはまるのではないかと思ったのです。随分と前置きが長くなりましたが、今回は子猫の行動を通じて発見した「子猫から学ぶ子育て理論」を述べたいと思います。



日々の子猫を見て思うことそれは臆病さと好奇心にあふれているということです。いくつかパターンがあるのですが大抵初めて目にするものはビクビクかつ慎重です。何だろうと思いつつ恐る恐る近づき、少しでも動こうものならサッと後ろに後退します。そしてまたゆっくり近づきそのものの様子観察を行います。クンクン匂いを嗅いでみたり、手で恐る恐る触ってみたりしてそれが何なのかを確認していきます。それはまるでビビりとしか言いようがないのですが、けれどもそこには新しいものへの興味でいっぱいです。そしてそれが安全であると分かれば次からそれは猫のテリトリー範疇となるのです。


日が経つにつれ子猫のいたずらもどんどん増えていきます。多少私が猫の本能を刺激しそれを増長させているところもありますが、それ以上に駆け回り、逃げ回っています。時にいたずらの度が過ぎて、台の上から転落したり、何かにぶつかったりして…、「やっちゃった~。」という顔をすることもあります。ジャンプ力も上昇しいつしか椅子の上に上がるようになりました。時に椅子からテーブルに上がることがあると、ここは躾としてビシッと叱ってやります。すると子猫は椅子の下や狭い所へ逃げ込み、体を小さく丸めて顔を下に向け(一瞬)反省ポーズを取っています。(またしばらくすると繰り返すのですが…。)


StockSnapによるPixabayからの画像


子猫の1日を見てみると、基本「食べる」→「走る」・「遊ぶ(いたずらする)」→「寝る」の繰り返しなのですが、この「走る」・「遊ぶ(暴れまわる)」で日々運動能力が向上しています。時にこたつ猫となることもありますが、まだ若き猫は外に出ることが大好きで、寒さも何のそのと庭を駆け回っています。木にも登るようになりました。近頃は庭をすり抜け道路に走り出ることがあり、その時はまた叱ってやります。(これまた何度も繰り返すのですが…。)


基本動物の多くがその本能として臆病さを持ち合わせていると思うのですが、猫もそれは同様です。しかしながら若さは好奇心がそれを上回り、日々いろいろなことを体験し、時に失敗を繰り返しながら、少しずつ世界(テリトリー)を広げていっています。



さて、一連の子猫の行動は人間も同じだと思うのです。人間の赤ちゃんも好奇心にあふれています。特にハイハイを始めてからはすべてのものに興味関心を示し、なんでも触ってみたり、口に入れたりし、時に失敗をし、痛い目にあい、泣き、それらを繰り返し、成長していきます。やがて立ち上がり、歩き出し、走り回り、ボールを追いかけ、時に木に登ったり、水たまりや小川の中へ入ったりします。いたずらもします。そうして運動能力を高めていくのです。ただそれは猫よりもずっと時間もかかり、期間も長いのは周知の通りです。


そしてこれら一連の動作・行動は運動能力を高めていくだけではありません。脳の発達にも大きく影響を及ぼしていると思うのです。体験し、失敗し、痛みを知る。それは実体験として大きく脳にインプットされていくと思うのです。この実体験を繰り返していくことこそが猫にとっても人間の子供にとっても大切なのではないでしょうか。特に人間にとっては(小さな)痛みを伴う小さな失敗を繰り返しながら様々な物事を学んでいく。これこそがバランスの取れた成長へとつながっていくと思うのです。そしてそれは実世界においてだけではなく、空想世界においても大切だと思うのです。なぜなら痛みを知る人間こそが大人としてまともな思考ができ、また行動がとれるようになると思うからです。



ところが今の子供たちはどうでしょう?子供たちの多くが小さいころからスマホ(タブレット)をいじり始めているのではないでしょうか?ある人に言わせると1歳ぐらいからいじり始めているということです。


スマホはテレビと同様画面の中で様々な展開がなされます。画面の中で次々とことが起こるのですから子供たちは基本そこに座って見ていればよいだけです。時に声を上げることもあるでしょう。また時に手を上げたり、手をたたいたり、あるいは足をバタバタさせることもあるでしょう。もしスマホでYoutubeを選択すればそこには次々に無限の物語が展開されていきます。アニメーション、動物の動画、人気芸能人の動画等選び放題いです。


またスマホでできるのはYoutubeを見るだけではありません。ゲームもできます。そしてこちらはYoutubeで他者が作ったものを見るだけでなく、そこに参加することができます。自分で次なる展開ができ、そこにはより一層の興奮がもたらされるのです。


けれどもそれは基本半径1m以内です。いくら物語やゲームが進行し展開されようと、それは画面上でのことです。本人が使っているのは大半が目だけ、指先だけです。もちろん脳も疑似的経験をするのでしょうが、身体はほとんど動かすことはありません。本来身体を動かしてこそ、バランスが養われ、それと同時に様々な感覚が養われていくと思うのです。体を動かし、ものに触り、時に失敗をして痛い目に合う。そうして痛みを知り、次は成功させるか、もうそれに近寄らないかの判断をする。そうして人間の能力は養われていくと思うのです。しかしそれが目と指先だけの世界ではものすごくアンバランスとなるのではないかと思うのです。何よりそこには実体験としての痛みを伴うことはありません。ましてやゲームによっては相手を倒したり、打ち負かしたりするものも多く、それこそがある程度成長したときに過剰な暴力をふるってしまうことにもつながっているのではないでしょうか?



乳幼児期の動作一つひとつに神経の発達が関連しているそうです。手足をばたばたさせること、あたりを見ること、ハイハイすること、そして立ち上がること、それらは全て身体と神経の成長につながっているそうです。故に1歳ころからスマホで育った子供には身体の動きに関する発達の遅れがみられることがあるそうです。


確かに子供はスマホを見たりいじったりしている間はそれに夢中となるので、その場を動かない分おとなしくなります。手もかからなくなります。その分子育ても楽に行えるようになります。イライラすることも減るでしょう。しかしながらそれは子供の発達や成長機会を奪ってしまっているのです。


更にそれは子供の成長(発達)機会を奪うだけでなく、同時に母親、父親の成長機会も奪っているように思います。なぜなら子育てには多大な忍耐や労力も必要でしょうが、大人はそれを学ぶ機会を子供から与えられているとも言えます。スマホ一つで子供はおとなしくなるのですからどちらの成長機会も奪われてしまっているのです。



現在子供たちは本当に小さい頃からスマホや携帯ゲームで遊ぶようになりました。不審者だらけの社会ですから仕方がないことなのかもしれませんが、外で遊ぶ子供たちを見ることもめっきり少なくなりました。これでは発達がアンバランスとなるのも当然ではないでしょうか?更に今では両親ともに働きに出ることも当たり前となっています。親もいない中でスマホをいじり続ける。これらが一体どれだけ子供たちの成長と発達に影響を及ぼしているのでしょうか?


本当は少なくとも3歳ごろまでは親が子供のそばにいてその成長を見届ける。そしてできる限り子供に体を動かせること、外で遊ぶ機会を設けることが必要ではないのでしょうか。子供が外で遊ぶこと、それは子供が学校で勉強することとある意味同等の、もしかするとそれ以上の意味があるのではないかと思うのです。外で遊ぶこと、それは子供の仕事(役割)といってもいいのではないでしょうか?



子猫はすばしっこく、その運動能力はすでに人間をはるかに凌ぐすごいものがあります。しかし猫の脳は小さいので猫がしゃべりだす、計算をするようになることはないでしょうが、今の(人間の)子供たちの現状を見ていると、何れ人間は猫にも劣るようになるのではないかと心配です。


もちろん世の中には病気や障害等のために外で遊んだり、動けなかったりする子供もいます。彼らも成長するにつれ立派な大人となっていくのですから余計な心配なのかもしれません。それでもやはり今の子供たちを見ていると心配になってしまいます。眼と指先だけを使っているといずれ眼球ばかりやたら大きくなり、指は長くなる。身体を使わない分細くなる体は細くなる。なんだか人間はこの先どんどんE.T化していくのではないかと想像してしまうのです。もしかするとE.Tは未来の地球からやってきた人間なのではないでしょうか?テクノロジーの進化はとてつもないスピードで進化しています。一方で地球は急速に破壊されています。E.T Go home!果たして未来の人間に帰る場所はあるのでしょうか?子供を産み育てる前に子猫や子犬から「育て方」「育ち方」を学んだほうがいいのかもしれません。


MikesPhotosによるPixabayからの画像

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