6:4の法則(新型コロナ考4)

新型コロナがもたらしたもの

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が5月末まで延長されました。それに伴い引き続き外出等の自粛が求められています。私はもともと外出自粛に対して反対の立場です。というのもここまでウイルスが世界中に広がったならば制圧することは不可能であり、集団免疫を形成させウイルスと共存していくしかないですし、そのほうが今後のことを考えるとよいと思うからです。(共存するためのおまじないは前回書いた通りです。)それを証明しているのが北欧のスウェーデンではないでしょうか?スウェーデンでは社会的距離を保つことを奨励し、大きなイベントの開催は禁止していますが、それ以外は通常通りの生活が営まれています。しかしながらそれで大規模感染者が出たり、相当な死者数となっていたりするかというと、そんなことはありません。ロックダウンしている国と変わらないのです。更に日本の死者数の状況を見てみると、それは例年のインフルエンザによる死亡数をはるかに下回ってもいます。ということで自粛要請にある程度従いつつ、公衆エチケットにも一応配慮しつつほぼ毎日チャリンコ、徒歩、時々車で仕事や日常活動で外出しております。

しかし外出自粛や営業自粛されたことによってよかったなと思うことがあります。それは地球の自然が急速に改善されているということです。世界中の工場がストップし、飛行機を始め交通機関の運行は大幅に減少し、多くの活動が停止された結果、中国の大気汚染は改善され、ニューヨークの空の青さも増しました。インドのあのガンジス川も透明度が改善されたとも!(乾期によるものだという話しもありますが、生産活動等の大幅減少によるためもあるはずです!)、その他ジュゴンが戻ってきた!!なんてものもありました。美しき地球が取り戻されているのです!!!

Khusen RustamovによるPixabayからの画像

これらのニュースを聞いて、やはり今回の騒動はたとえ何ものか(DeepState?)によって計画されたものであったとしても、それ以上に(見えない)大きな力が働いていると思うのです。というのも今回の世界的な自粛によって地球がきれいになったということは現在の80億の人口が地球と共に生きていくためにはこれぐらいの活動量なのがちょうどよいことが分かったからです。見えない力はそのことを人間に教えてくれたのではないでしょうか。しかしながらこの間人々は家に閉じこもった結果ストレスを抱え、虐待が増加したり、多くの人々がこの先の暮らしに不安を抱えていたりしているのも事実です。

それでは美しさを取り戻しつつある地球と共に生きつつ、この状況を改善するにはどうすればよいものかと考えてみたところ、これまでの経済優先、人間(の欲)優先ではなく、「地球と共生し地球を美しくする」ということをベースにした活動に組み立てなおすことが必要ではないかと思うのです。

OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

光合成は何のため

ところで、今年(令和2年)の2月は私にとっては研修月間でした。1ヶ月で計11の講演や勉強会などに参加したのですが、最後に受けたのが「タネと内臓」という講演会でした。講演のテーマは、現在国は種子法の撤廃を進めており、それを止めさせなければならないというものであり、それも大いに賛成なのですが、それに関して今回は触れません。なぜならそれ以上にピンときた、大げさに言えば、「悟った!」と思えた内容があったのです。それは植物の光合成の話しです。

植物は日光と大気中の二酸化炭素を用いて光合成をおこない、エネルギー(糖やでんぷんの有機物)を生み出すと同時に、酸素を放出していることは学校の理科(科学)の時間で習ったと思います。その光合成に関して最近の研究で明らかになったことがあるそうです。それは植物の光合成によって生み出されたものが100%植物の成長に使われるかというと、そうではないそうです。実は60%は自身の生命維持や成長に使われるのだそうですが、残りの40%は自身で消費するのではなく根を通して地中に放出しているそうなのです。

では何のために地中に放出しているかというと、地中の微生物に与えるそうです。地中微生物は植物の根から放出される糖やでんぷんの有機物を食し、生命活動を行います。それと同時に排せつもします。実はその排泄物の中に植物の成長にとって欠かせない微量のミネラルや有機物が含まれるそうです。それを今度は植物が根から吸収し植物の成長に用いているとのことです。つまり植物は光合成によって生み出したエネルギーを60%は自身で使いつつ、40%は地中微生物に与え、そして今度は微生物から植物自身では作れないミネラルや有機物を与えてもらっているという循環した共生関係を形成しているのです。

Larisa KoshkinaによるPixabayからの画像

自然に即した生き方

この話しを聞いて、これこそ自然に即した生き方であり、自然の法則ではないかと思った次第です。そして我々人間もこの自然の法則にあった生き方をすべきではないかと思ったのです。つまり自分が得たもののうち6割は自分のため、あるいは家族のために使っても、残り4割は自然や社会に返すという生き方です。それは決してお金だけを意味しません。知恵やボランティア、あるいは生き方そのものもそうです。そうすることによって与えたものがいずれはそれがまた自分のところに戻ってくるという循環と共生の関係となるのではないかと思ったのです。ではどのようにすればそれができるのかとずっと考えていたのですが、ある時ふと思ったことがあります。それは実は人間の体内でもこれと同じ活動が行われているのではないかということです。

私たちは毎日1度から3度食事をとります。何のためにとるかというとお腹がすく(すいた)からでもあるのですが、エネルギーや栄養を得るためです。では食べて得たエネルギーをすべて私たち自身が消費しているかというと、一見そのように思えもしますが、考えようによっては腸内微生物に餌を与えるために食べているとも言えるのではないでしょうか。つまり食し、それが胃や十二指腸で消化され、そこで得た栄養やエネルギーを体全体にも送りますが、同時にそれは腸内微生物が食べやすいように分解して、腸内微生物がそれを食し、排泄する。しかしその排泄物には人間活動に不可欠なミネラル分やホルモンが含まれており、それによって人間は生きていられるという共生関係が形成されていると思うのです。

少し詳しく腸内微生物の働きを言うならば、腸内の微生物によって病原体の侵入を防いだり排除したり、あるいは免疫力の強化がなされます。また食物繊維を消化し短鎖脂肪酸を産生したり、ビタミンB2、B6などのビタミン類の生成がなされたりします。そのほかドーパミンやセロトニンの合成をする(Wikipediaより)など人間が生きていくうえで不可欠なものを生み出しているのです。それらの働きをしてもらうために人間は食物を口にし、噛み砕き、そして腸に行くまでの各器官でドロドロにして、腸内微生物が食べやすいようにしているのです。そうして循環と共生の関係をつくり両者が生きているのです。

FineGraphicsさんによる写真ACからの写真

自然に反する生き方

ところが人間はこのところ企業利益のために(石油を原材料として生み出された)様々な添加物の入ったものを食し、腸内の微生物にダメージを与え、自らが人間内の共生関係を崩しているのではないでしょうか?それが故にアレルギーや様々な病気が発生していると考えると、まさに人間自身の手によって自身の体内における自然の法則~循環と共生の関係~を壊しているのです。

これは人間の体内の世界だけではありません。本来は外の世界に対しても循環と共生がなされなければならないのですが、それももうずいぶん行っていないのではないでしょうか?それどころか破壊する一方ではないでしょうか?

現在世界中で自然が破壊されています。木が切り倒され森が失われています。あったとしても原生林は失われ人工林となっています。緑の大地は赤茶けた大地となりました。自然よりも企業利益、人間の便利さが優先されてきました。その筆頭が石油関連であり、大気も海も陸もそれによって汚され、野山のあちこちにその廃棄物が不法に捨てられ、海にはプラスチック製品が漂っています。

地球は、自然は、人間に様々な恵みを与えてくれています。地球にとって人間は腸内微生物のようなものなのかもしれません。それでは私たち人間は何か自然にとって不可欠なものを(自然に)返しているのでしょうか?95%以上の人々が地球のことを意識することもなく、当然ながらGive(与える、返す)することなどなく、Take(取る)ことばかりという状態ではないでしょうか?80億の人間がTakeばかりでは地球がボロボロになるのは当たり前ではないでしょうか。考えようによっては、奪うことだけどころか破壊するばかりにもかかわらず与え続けてくれている地球は何と優しく有り難い存在なのでしょうか?ならば80億が今のような考え方のままでは総ひきこもりになるしかないのも当然とも言えますし、このぐらいで済ませてくれていることに感謝しなければならないのかもしれません。

Jose Antonio AlbaによるPixabayからの画像

祖先の生き方、現代人の生き方

ところでこの循環させ、共生するという自然の法則があらゆるところでできていたのが縄文時代だと思います。縄文は1万2千年~1万8千年続き、しかもその間争いがほとんど見られない時代です。しかし人々はただ原始的に暮らしていたのではありません。自然を敬いながらそれぞれの地域々々で暮らしつつ、農業を行い、交易を行い、更に冒険心をも人々は持ちあわせていた時代です。

ではこの先私たちはどう生きていけばよいのでしょうか?縄文時代に戻らなければならないのでしょうか?もしかするとそれも必要かもしれませんし、強制的に戻されることがあるかもしれません。あるいはそれも嫌ならばこのままひきこもり続けるか、人口を20億程度まで減らすしかないのかもしれません。それも受け入れられないならばやはり先に書いた自然の法則~6割は自身や家族のために使うが、4割は周りに与える(自然や社会に返す)~に従った生き方をすべきではないでしょうか?

19世紀後半から使われ始めた石油によって確かに私たちの生活は大いに進歩しました。石油を伴う科学の発展のおかげで今では私たちは世界中をそれほど苦労することなく行くことができるようになりました。また石油を使った化学の発展により以前よりもずっと長生きできるようにもなりました。しかしながら同時にそれらによって公害が発生し、自然を破壊することにもなりました。そして現在の80億の人類がこれらを用いてこれまで通りの生活をするならば、それは地球の許容範囲を優に超えてしまっているのです。地球3つ分の暮らしをしているとも言われています。そこには(人類の)滅びしかないのです。これまで私たちの暮らしを豊かにしてくれた石油に感謝しつつ、それを早急に終わりにすることを本気で考ええるのが私たちに与えられた今すべきことなのではないでしょうか?

Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

祖先に学ぶこれからの生き方

人間はこの地球上で唯一想像し創造する能力を与えられた存在です。大地を自由に行き来することはもちろんのこと、海に潜ること、海を渡ることも、空を飛ぶこと、更に宇宙に出ることも可能としてきました。すべては想像し、創造した結果です。ならばこれからも未来をイメージし、それに向かってクリエイトしていくことが可能なはずです。人間はこれまでこの想造力を用いて科学を発展させてきました。残念ながらその多くを、自然を破壊し、自分たちの欲を満たすために使って生きてきました。それを改めるべくまずは石油の使用をやめ今度は自然と共生し共発展する未来を描き、それに向かって創造していく暮らしを行いましょう。

江戸時代に日本を訪れた西洋人は東の果てにパラダイスがあったと驚きました。自然と調和し、繊細で美しく、時に大胆で迫力ある芸術を生み出し、シンプルながら美しき調度品と共に暮らす国を発見したのです。そう東方の日出る国には自然と共生し、より美しき世界を作り出す民が住んでいたのです。

日本は18,000年という自然の法則に従って生きていたという実績のある国です。またパラダイスを生み出した国であり、更にはこの100年間科学を進歩発展させることに大きな貢献もしてきた国です。ここ100年ほど大きな間違いも犯してしまいましたが、反省すべきところは反省して、今こそ日本人であることに誇りを持ち新しい未来に向かって歩んでいきましょう。世界の人々と共に地球と共生・共発展する世界を想造していきましょう。

そのためにも私たちは今回の自粛によって新型コロナにおびえてばかりいるのではなく、今回のウイルスが人の手によって生み出された人工ウイルスであることも踏まえて、これからの人間の在り方について一人一人がよく考えましょう。この自粛期間は自らの働き方や生活の仕方などのこれまでを振り返るには最適な期間です。これを通じて自らの(これまでの生活で)縮すべきところを縮し(自縮)、そして縮した自分と、よみがえった自然を祝す(自祝)期間としましょう!その方向で進んでいる人を新型コロナが襲うわけはないではないですか!そして大いなる力もそのことを日本人に望み、味方してくれると思うのです。

Let’s start givin’ & Make a better day

Arek SochaによるPixabayからの画像




らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~

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