きっかけのホテル
「ホスピタリティ」という言葉を聞いたことがある方も多いかと思います。
一番簡単に訳すならば「おもてなし」となるのでしょうか。(こちらは誰もがよく耳にしますよね。)
私がこの「ホスピタリティ」という言葉に出会ったのはかれこれ20年近く前のこととなるのですが、最近再びこのホスピタリティについて考えることが多くなりました。
というのは数か月前からバリアフリー調査をしようと訪問先の一つとしてホテルを訪ねているのですが、フロントの方に
「障がい者の支援に関わっている者ですが、バリフリー情報をまとめたホームページをつくるためにバリアフリールームがあれば見せていただけませんか?」
と尋ねると、気持ち良く対応してくれるところとそうでないところがあるのです。
そうでないところの一例ですが、フロントでその旨を伝えると
「只今上司が不在ですので、確認してご連絡します。」
と言われ、ここまでは良かったのですが、
その後ずっと連絡がないので数週間後に再び尋ねたところ
「先日も来られましたよね。上の者に相談したところ当ホテルでは今回お断りすることとなったのですが…。」
と言われました。
連絡すると言われ、その連絡がないが故に再訪したのですが、そのように応えられるとムカッとしました。
あれは最初からお断りするという意味だったのかなと思いつつ、ここは見かけだけ立派なホテルなのだなと星ゼロとしました。(ちなみに応対してくれたのはきれいな女性の方でした…。)
ただもちろんそのようなところばかりではなく、大抵の場合丁寧に応対してくださいますし、きちんと連絡をくれるところももちろんあります。
そしてそれは高級ホテルとそうでないホテルとあまり関係ないようにも思えます。
小さなホテルでバリアフリールームのないところでも気持よく対応してくれるところもあるのです。
そのようなことから「ホスピタリティ」について改めて関心を持つようになり、この違いは何だろうと考えるようになりました。
従業員教育だろうか、それともホテルのターゲット層の関係かななどと思ったりしつつ、最後はやはり人の心であろうと私なりに結論を出してみました。
しかし私はこれからは新しい次元入っていく時代が来ていると考えています。
その為にはこのホスピタリティが大いに関係しているのではないかと思うようになりました。
そこで私なりのホスピタリティ新時代論を打ち出してみたいと思います。
サービスとは
まずはじめに「ホスピタリティ」という言葉をどこで(何を)イメージするか考えてみようと思います。
現在いろいろな業界でこの「ホスピタリティ」の重要性が説かれています。
観光ブームということもあり様々なお店が「ホスピタリティ」という言葉は知らなくとも「おもてなし」を意識していますし、市町村で「おもてなしNO1」と標語を掲げ取り組むところもあります。
ですがやはり「ホスピタリティ=おもてなし」という言葉から最初に思い浮かべる場所はホテルではないしょうか。
ところで近頃よく「おもてなしサービス」と言う言葉が使われたりしています。
もちろんホテルでもよく聞かれる言葉です。
そのおもてなしサービスの「サービス(service)」という言葉は今や半分日本語のように当たり前に使われています。
それを日本語に訳すと「奉仕」や「給仕」、あるいは「仕える」となります。
けれどもこの「service」の語源をたどってみると実はラテン語の「servus」であり、その意味は「奴隷」なのです。
この「servus(奴隷)」という言葉から派生して、英語のslave(奴隷)、servant(召使い)、service(奉仕)という言葉が生まれているのです。
よく電気店などでお客さんと店員さんの間で「サービスしてや?」「サービスさせて頂きます。」とやり取りの会話があります。
大抵の場合はお客さんにも得をしたと思ってもらい、売り手も利益を上げることができるWIN-WIN関係を築こうとするものですが、英語の語源からするとそこには主従関係があるということになります。
上下関係と言ってもよいでしょう。
サービスを受ける側が主(上)、サービスを提供する側が従(下)となるのです。
別の言い方をすれば、モノやサービスを提供する売り手(従)とそれにお金を支払ってくれる買い手(主)と言ってもよいかもしれません。
すなわちホテルで言うならば宿を提供する側スタッフ(従)と、お金を払って泊まる客(主)側です。
少し大げさとなるかもしれませんが「サービス」をしているホテルとは、お金を払ってくれるお客さんに対しては主(主人)つまりお客様としてスタッフは仕えてくれます。
そして支払う料金に応じたサービス(給仕)を提供してくれます。
けれどももしお金を払ってくれない場合極端に言えばそこにはサービス、つまり主従関係は生じないわけです。
場合によっては主従関係が逆転することがあるのです。
というのは私がホテルにバリアフリー調査の協力を依頼し、断られた事例で言うならば、私とホテル側に金銭のやり取りが発生してはいませんからサービス(主従関係)はありません。
けれども私は「協力してくれませんか」と依頼する側でしたので、相手は金銭のやり取りなく、お願いしてきた立場なので、ホテル側が「上(主)」で私が「下(従)」と判断したとも取れます。
それが故に連絡することなくスルーした(無視した)といえるのかもしれません。
ですからこのホテルはサービスを提供するホテルといえるのかもしれません。
そう考えるならばおもてなしサービスとは顧客獲得のための一環とも言えるのかもしれませんし、実際にそういうところも多いのでしょう。
ホスピタリティとは
さて一方の「ホスピタリティ」ですが、はじめに「おもてなし」と訳しましたが、詳しくは「手厚くもてなす」「歓待」「思いやり」を意味します。
その語源はサービスと同じくラテン語にあります。
ただしこちらはラテン語の「Hospes」が語源であり、その意味は「客人等の保護・救護」です。
そこから派生して英語のHospital(病院)、Hospice(ホスピス)、そしてHotel(ホテル)などの語が生まれてきています。
ラテン語が使われていた当時の「客人(の保護・救護)」とは、旅人であり、当時の旅人とは多くの場合「巡礼者」を意味しています。
巡礼の長旅で疲れた旅人、あるいは病気で弱った旅人に出会った際に食事やベッドを提供し、時には看護を提供する。
まさに暖かな心を持つ人が(自主的に)行ったことなのでしょう。
私が住む四国には「お接待」という文化があります。
四国八十八ヶ所を回るお遍路さんにおもてなしをすることを意味するのですが、通りがかったお遍路さんにお茶や食べ物を提供したり、お金を差し上げたり、あるいは一晩の宿を提供する人もいます。
その背景には「同行二人」という思想があります。
これはお遍路さんは1人で歩いているのではなくお大師さん(弘法大師空海)と一緒に歩いているのだというものです。
それが故にお遍路さんは(ご利益をもたらしてくれる)ありがたい人でもあり、あるいはその後ろにいる空海さんにお布施するのだとも言われています。
現代でこそその多くが退職された方であったり、迷える世代の人々であったりするわけですが、かつては病気治癒の祈願として巡礼する人も多かったようです。
というわけで接待する側もお大師さんにお接待させていただく、あるいはその人の病気の回復を願ってお接待するわけですから、お接待する側も相手(お遍路さん)を敬いますし、お接待された側(お遍路)さんもお接待してくれた相手に感謝します。
そこにはお互いが認め合う、どちらが上下というわけでもなくある意味対等の関係となっているのです。
このことからおそらく西洋の巡礼者をもてなす心もそのような関係があったのではないかと思うのです。
忠恕とは
ということでこれまでサービスとホスピタリティの語源からの違いを見てきたわけですが、それらをふくめてサービスとは上下の関係(縦の関係)であり、ホスピタリティとは対等の関係(横の関係)であるともいえます。
さて私はこのブログ「デザインBOX2050~らいふあーと21~」でこれまでの上下(縦)の関係(ピラミッド構造)は崩壊しつつあり、これからは横の関係となってくるので横型の社会を目指していきましょうと言っています。
このことは経済アナリストの藤原直哉先生から学んだことでもあります。
藤原先生はこれからの時代は横型リーダーシップの時代であると言われそのあり方を説いています。
横型リーダーシップの説明は別の機会としますが、藤原先生はこの横型リーダーシップのベースにあるものは「忠恕(ちゅうじょ)」であると話されます。
では「忠恕」とは何かというと、それは孔子の「論語」に出てくる言葉であり、真心と思いやりを意味します。
「忠」とは、心をこめるという意であり、「まごころ」です。
「恕」とは、心ゆるやかに相手をゆるすこと、ひいて、「おもいやり」です。
「まごころ」とは、他人のために尽くそうという純粋な気持ち、偽りや飾りのない心です。
「おもいやり」とは、その人の身になって考えること、(相手の気持ちを)察して気遣うことです。
すなわち「まごころ」は自分の良心に忠実であることであり、「おもいやり」は他人の身となって考えることです。
この「忠恕」という言葉は論語の「里仁第四の十五」に出てくるのですがそこには次のように書かれています。
「子曰わく、参(しん)よ、吾が道は一(いつ)以(もっ)てこれを貫(つらぬ)く。 曾子(そうし)曰わく、唯(い)。 子出(い)ず、門人(もんじん)問うて曰わく、何の謂(い)いぞや。曾子曰わく、夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ。」とあります。
その意味は、「先生(孔子)の人生はただひとつのことを貫くことにある。それは『忠恕(真心と思いやり)』である。
真心と思いやりを貫くことこそが先生(孔子)の人生である」となります。
すなわち孔子の教えのすべての大本は、まごころと思いやりにあると説かれているのです。
思うにホスピタリティとはこの「忠恕」つまり真心と思いやりとこそが原点ともいえるのではないでしょうか。
そしてこれからの社会はslave関係から生まれたサービスから、真心と思いやりから生まれたホスピタリティ社会へと転換していくことが必要ではないかと思うのです。
ホスピタリティ社会
最初に戻りますが、障がい者というと2020年に東京でオリンピックの後にパラリンピックが開催される(?)ということで現在バリアフリー化がどんどん進められています。
そのためCM等でもどんどんそのことがアピールされています。
けれどもまだまだ偏見も多く理解がされていないことが多いのも確かなことです。
かくいう私もきちんと理解できているとは思いません。
けれども彼らを対等に含められる社会こそが横型社会であるともいえると思うのです。
そしてそれを成すためにはホスピタリティが重要となってくるのではないかと思うのです。
ホスピタリティ社会(横型社会)をつくること、スレイブ社会からホスピタリティ社会に変えていくことは一夜にしてできるものではありません。
一歩一歩その階段を上がっていくしかありません。けれどもそれこそが21世紀の新しい社会となってくると思うのです。
念ずれば花開く。
行動すれば次なる道が開ける。
忠恕でもって信じる道を歩みましょう。