星となる

先日ハードロック、メタル界の巨匠オージーオズボーン(Ozzy Osbourne)が逝去したことをニュースで知り、「あ~遂に…」と思ったのだが、それに続いて今度はプロレス界の巨匠ハルクホーガン(Hulk Hogan)も逝くという相次ぐ訃報に衝撃を受けた。
若き頃にそのパフォーマンスを楽しませてもらったレジェンド2人が次々と星となったのだ。

オージーに関しては高校生になって友達から紹介され聴き始めたので少々遅かったのだが、それでもランディローズのギターとセットで何度も彼の曲を聴いた。

十代半ばという体も心もウズウズしている年代でもあり、彼のハードな曲は私を揺さぶった。今でも時々彼の曲をyoutubeで聴いていたりもする。

一方、ハルクホーガンは、日本でプロレスデビューし猪木とタッグを組み戦っていた時から見ていた。二人の師弟愛とその無敵の強さにワクワクさせてもらった。それがいつしか猪木と戦うようになり、猪木がホーガンのアックスボンバーを喰らい、舌を出して失神したのをTVでリアルタイムに見たときのあの時の衝撃は、当時中学生だった私にはあまりに大きかった。

思えば、あれが心に穴が開くという初めての体験だったと思う。翌日学校でどれだけ話題となったことか…。
ただ以降ホーガンは日本を去り、本国アメリカで人気レスラーとなるのだが、彼に対する興味はそれほどなくなっていた。

それにしても人生を半世紀以上生きてくると、かつてのヒーロー達が逝ってしまうということが(度々)起こってくる。私よりも15歳~20歳以上年上となり、日本でいうなら後期高齢者といわれる層となるのだから仕方がないといえば仕方がない。

この世は物質世界であり、「カタチあるものは壊れる」ということは物質世界において必然である。

人間というカタチある身体とカタチのない意識の両方を持ち合わせた生命であるからにして、いつかは(この世での)終わりを迎えるのは当然のことだ。この身体での今世を終えて魂はあの世へと戻っていく。

ところでいつのころからか思い始めたのだが、人生の終わりを迎えるときに「あ~(自分の今回の人生)楽しかった」と思いたい。それが一番いい生き方であり、悔いのない人生ではないかと思うのだ。

死に際にあれこれ後悔することだけはしたくない。

オージーもホーガンも一世を風靡した人たちだ。その晩年がどのようなものであったかは詳しくは知らないが、ステージやリングの上で大勢を、時に何万人もの人を沸かせたのは間違いなく、彼らはそれを楽しんだと思う。

もしかするともう少し楽しみたかったという思いはあるかもしれないが、それでも楽しかったと思い、旅立ったのではないかと思う。

私もあとどれだけ生きるのか分からない。もちろん彼らのように世界を一世風靡することなどないけれど、それでも私なりに全力で楽しみたい。そして「楽しかった~」と言ってあちらの世界に行きたい。

R.I.P二人の巨星よ!

Dung TranによるPixabayからの画像

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