少し前のこと、何年振りかに体重を量ることがあったのだが、予想していた体重よりも5,6キロもやせていたのでビックリした。鏡で見ると確かに細くなっているように思う。いや、ガリガリになってきたと言ってもいいぐらいだ。こんな姿ではいけないと思い、時々朝食をとるようにすると同時に、筋肉を復活させようと十数年ぶりにジムに通い始めた。
ジムといいても公共施設に設置されたトレーニングルームなのだが、施設の受付で「10年ぶりにやってきたのだけど何か変わったことはありますか?」と尋ねると、「トレーニング室は無人になっています。入退出の際にチケットのQRコードをゲートで読み込ませてください。」とのこと。
ここも無人になったのかと思いつつ、行ってみるとトレーニング室入り口には、駅の自動改札のようなものが取り付けられていた。けれどもトレーニングルームの機材も更衣室の設備等も以前と変わった様子もなく、ただ人件費削減???(or人手不足対策)のために改札口に予算を投入したようにしか見えなかった…。
1時間半ばかし筋トレに励んだり、ランニングマシーンやバイクを使って有酸素運動をしたりして汗を流しジムを終えたのだが、以前はちょっとしたことがあればスタッフに尋ねることができたのだが、無人ではそのようなことはできず、その分寂しくもあり、またジムを利用している間にスタッフは一度ごみ箱のごみを集めに来ただけだったので、いくら監視カメラ(?)があるとはいえ安心感は減ったように思った。

しかし最近はどこも人手不足の対応として様々な店舗や施設で無人化がすすめられている。スーパーへ行くとセルフレジが設置され自分でバーコードを読ませ会計するのはだんだん当たり前のようになってきているし、民間のスポーツジムをネットで調べてみるとスタッフがいる時間といない時間がある様になっている。(その代わりに24時間使用可能となって利便性が増していたりもするのだが…。)
この人手不足の大きな原因は、日本が少子高齢社会となり、人口減少時代に突入していることが原因なのだろう。
実際日本の人口状況を見てみると

総人口は2010年をピークに減少に転じているし、生産年齢人口(15歳~64歳人口)も1995年をピークに減少に転じて2025年(1月)時点では73,612,000人となっており、おおよそ1970年ごろと同じになっている。
※生産年齢人口とは、国内の生産活動を支える中心的な労働力となる年齢層の人口を指す。
つまり現在働き手の数は、おおよそ55年前と同じぐらいになっているのだ。
もちろん55年前といえば、女性は結婚と同時に(寿)退職するのが当たり前のような時代であり、現在のように結婚後もずっと働き続け、夫婦共働きが普通というような時代でもなく、また55年前といえば55歳から60歳で退職、それと同時にご隠居生活という時代でもあり、現在のように高齢となっても、65~70歳ぐらいまでは働き続けようとする時代とも違い、何もかも比較することはできないだろうが、それでも生産年齢人口的には55年前と同じ時代だ。
そこで、働き手の違いがあるとはいえ、55年前の社会状況、地域状況を振り返ると、
(実のところ私はまだギリチョン生まれていないのだが…、)私の住んでいる地域は、地方都市(県庁所在地)の中心街から数キロ離れた所に位置するのだが、周りは田んぼだらけ、通学路の大半は農道で、4車線道路などほぼないようなところであった。買い物といえば、タバコ屋さんや小さなスーパーマーケットで買い物をしていたような時代であり、中心街には百貨店や総合スーパーがあり、月に1回バスに乗って買い物(やそのついでにレストラン等でお食事)へ行くか行かないかという時代であった。
ついでに言うならば、車は現在のものよりも故障は多かった(?)が、一家に1台あれば上等で、服は、子供は成長するので買い替えもしなければならなかったが、おさがりも普通であったし、物は服も雑貨も種類は少なかったが現在よりもずっと長持ちするようなものが多かった。
それが今では田畑はほとんどなくなり、それに代わって住宅が立ち並び、通学路の大半は4m道路となっている。4車線の主要道路もあり、主要道路沿いにはスーパー、ドラッグストア、コンビニが立ち並んでおり、それ以外にもファミレスを始め飲食店のチェーン店、家電屋に自動車ディーラー、その他諸々の店舗が並んでいる。(もちろんアマゾンなどのネット通販の時代でもある。)
というように周辺の景色は田園風景から住宅・商業エリアへとすっかり変わり、生活スタイルもかなり変わってしまったのだが、生産年齢人口的には、現在と半世紀前は同じなのである。
ついでながら人口ピラミッドで見てみると、

それらを含めて考えると、現在の都市化した日本を回していこうとするならば人手不足となるのも当たり前と言えば当たり前である。その対策として無人化や自動化を進めたり、それができないところでは、兎にも角にも人手不足の埋め合わせのために、外国人を技能実習生として働かせたりしている。
さらに国は政策として、外国人を雇用することのできる職種を増やしてこの人手不足の埋め合わせ、何とか機能の維持を、出来れば更なる拡大をしようとしているのである。そのほかにも例えばホームタウンとかいろいろな名称を付けたり、外国人に対する優遇政策を設けたりして、次々と外国人を受け入れようとしている。(実際は政治家たちの利権やグローバリストのためなのだが…。)
故に現在我が国においても移民が増えて来ているし、我が地域でも(技能実習生と思われる)ベトナム人らしき人々が、毎日自転車で近隣にある工場へ行き来している姿を見るようになっている。
けれども本当に現状維持、あるいは更なる拡大が必要なのだろうか。日本を始め世界はこれまでずっと拡大路線を取ってきた(きている)。経済成長、GDPの拡大、世界大競争などと称し規模の拡大を追い求めてきた。けれども今や日本の総人口も生産人口も減少に転じているのである。また世界の人口増加も頭打ちが見えてきた。そのような状況で規模の拡大が必要なのだろうか。

ここ数十年のグローバルリズムや新自由主義(大競争時代)と称した規模の拡大とそれに伴う開発により環境は破壊され、気候変動がもたらされ、これまでになかった規模の自然災害が発生するようになっている。結果人間にとっても動物にとっても生活環境は悪化している。
それらのことを考慮したならば、必要なことは、拡大ではなく縮小ではないだろうか?いかにうまく縮小させていくか、そのためにいかに人々のこれまでの拡大、成長こそが豊かさにつながるという価値観を変えていくか。そのようなことが求められているのではないか。
これまでむやみやたらに開発して行くことで、環境が破壊されるだけでなく、人間自身の心身をも壊して来たのが近年の規模拡大である。それを改め日本の国土を再度自然と人が共生していくための環境づくりに投資する。
もちろん超高齢者社会の中では介護や生活インフラを支える必要性から現状から拡大していくことが必要な職業もあるだろう。そのような職に関しては優遇処置をしてもよいのかもしれない。ただそれ以外の分野において人々が豊かさを感じつつ、いかに縮小させていくか。国民総出で知恵を出し合い、試行錯誤する方がよいのではないか。
もし人間にとって成長が至上命題であるならば、今度は如何に自然と共生していく技術を開発し、自然との共生というより豊かな環境づくりでもって成長していけばよいのではないだろうか。これまでの人間のエゴに基づく開発や拡大ではなく、地球生命との共生をベースにした発展である。
そうすれば日本は新たな地球時代をリードしていく国となれるだろうし、日本の若者たちも新たな目標に向かってより情熱的に生きることができるのではないだろうか。機械やAIの力を使って無人化、省力化するのも良い点はあるのだろうが、それ以上にこれまでの人間中心社会の考え方から地球(大自然)との共生社会への意識を養成していかなければならないと思うのである。
