縄文の中にある21世紀part1 

日本を訪れる外国人観光客

日本への観光ブームが止まりません。

年々訪日する外国人は増え続け2018年は3,000万人を突破しました。

日本を代表する観光地といえばやはり京都でしょう

。現在その京都では観光客が殺到して大混雑となっているそうです。

多くの外国人観光客は東京、富士、京都・奈良を訪れるのでしょうが、その次は地方へと複数回日本を訪れる人も増えているようです。

2020年の東京オリンピックの開催(?)ムードもあり、地方都市でも観光に力を入れ、ホテル建設や民泊の開始と観光ブームは当面の間続きそうです。

 

さて外国人観光客の多くは日本の伝統、歴史建造物、風景などのその美しさを見て感動し、更には日本食を味わい頬っぺたを落としてと日本を満喫するのでしょうが、けれどもそれは表面的なものであり、実はもうひとつ奥深さが隠されているように思えます。

今回はそのことを書きたいと思います。

均一化する世界の中で

現在世界中の多くの都市が均一化されつつあります。

世界各国の大都市にはコンクリートの高層ビルが立ち並び、その間や周辺を血管の如く道路や鉄道が張り巡らされ、そしてそれらが夜には光のイルミネーションを放っています。

年数が経ち老朽化したビルは取り壊され、次なる新しいビルが建てられるというスクラップビルドが繰り返され、こうして各都市は先端技術を競い合っています。

その中で新しい文化も次々と生み出されていますが、そのほとんどは一時的な流行ものであり、ブームが過ぎれば捨て去られています。

ただし世界が標準化されてきていること、インターネットの発展、SNS等でアッという間に広がることもあり、その分当たればパイは大きく、そこに多くの者が一攫千金を求めてしのぎを削りあっています。

それは成功を夢見る若者達だけでなく、大企業もそうですし、更には政治家達もそうです。こうして世界中が過剰なまでの(開発)競争を繰り広げています。

けれども本来人間は年を重ねていくと自らの場所に戻りゆく習性も持ち合わせています。

あたかも鮭やウミガメが産卵のために生まれた川や海岸に戻ってくるように、人間も年を重ねていくにつれ故郷を懐かしく思います。

そしてかつて子供時代にあったものを見直していくのです。

子どもの頃にはダサいとしか思えなかったものが暖かみあるものに思えるのもそのひとつでしょう。

それが故に廃れつつある地域や伝統をもう一度蘇らせたいと取り組む人々が現在日本で増えているのです。

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日本の歴史の土台

さてその日本の歴史ですが、学校で習う日本史というと、多くの場合が狩猟採集生活の縄文時代をサラッと流し、大陸から稲作が伝来された弥生時代から始まり、大和朝廷の誕生、平安の貴族文化、武士による治世となった鎌倉時代から江戸時代、近代の幕開けとなる明治時代、太平洋戦争とその敗戦、その復興と高度成長、そしてバブル崩壊(と停滞)となるのでしょうが、その重点の置かれるところは紀元後、特に日本の国が形づくられたとされる大和朝廷以降のこととなっているのではないでしょうか?

 

確かに文化の視点だけで見ると日本の歴史は大和朝廷以降がメインとなるように思えます。

また農耕文明、あるいは物質文明からすると弥生以降がクローズアップされることとなります。

けれども日本の歴史はその前に縄文時代があります。

そしてこの縄文時代は一見狩猟採集と竪穴住居で暮らす原始的生活のように思えますが、1万2千年以上続いた世界のどこにも類を見ないものです。

その長さは大和朝廷から現在までを2,000年とすると6倍以上の期間です。

例え大陸から人と稲作が広まった弥生時代を含め現代までを見ても3,000年であり、その長さは縄文時代に比べると4分の1ほどでしかないのです。

 

すなわち日本の歴史とはこの縄文時代の1万2千年というはるかに長い期間を基に今日まで続いてきているのです。

表面上日本の文化を見てみると大陸から人々が入り込み、彼らが持ち込んだ物質や技術を用いて出来上がっていくのですが、しかしながらそれらはすべて日本化されていることが分かります。

建築物にしろ、衣服にしろ、宗教にしろ、始めは大陸から輸入されたものであっても、やがてはその面影を残しつつも日本のものと変わっていくのです。

その変化のベースとなるものこそが縄文であり、縄文からの風土こそがものごとを日本化とするものなのです。

思うに現在日本を訪れる人たちは、この元々は自分たちの暮らすところから生まれたもの、自分たちの原風景、それらの面影を求めてやって来ているのではないでしょうか。

それはアジア各国だけではありません。

西欧諸国もそうです。

飛鳥時代や奈良時代にはシルクロードを経てユーラシア大陸の文化が伝来しています。

それらから日本人は大いに刺激を受けたことでしょうし、日本文化に影響を与えたことでしょう。

その後も遣隋使や遣唐使を始め中国からの影響は多大なものがあります。

それらは日本文化に変換されつつも、大なり小なりの面影を残して現在も続いているのです。

残念ながら大陸では民族間の争いによって消滅したものも数多くあります。

けれどもそれらが今も日本にはカタチとして、あるいは面影としてずっと残っているのです。

その面影を求めて外国人は日本を訪れているのではないでしょうか。

これが日本を訪れる奥深くに隠された理由の一つです。

縄文時代のベース

ところで外(大陸、時には海洋)から入り込んできたものが日本化される縄文時代のベースとは何かというと、その要素は3つあります。

それは自然との調和、人びとの調和、若者の冒険(心)の3つです。

(更にこれらの大本となっている国土の磁場が挙げられます。)

 

ひとつめの自然との調和はある意味言うまでもないことだと思います。

日本の歴史建造物は日本の風土に溶けこんでいます。京都の仏教寺院とその庭園は言うまでもありませんが、山形県の羽黒山にある五重塔などその最たるものと言えるのではないでしょうか。

縄文時代は基本狩猟採集の時代であり、同時に精霊崇拝の時代でもあります。住居跡、土偶などからも自然を人間よりも上に置き、その自然との調和を第一としていたことは明らかです。

日本の四季は変化に富んでいます。

この四季折々の豊かさと人々の(自然に対する)心が調和を導き出すのです。

二つ目の人々との調和ですが、日本人は本来争いを好まない性質を持ち合わせています。

その代表例が17条の憲法の「和を以て貴しとなす」でしょう。

それが故に「曖昧さ」は外国人からするとはっきりしないとか、なにを考えているか分からないと言われることもあります。

しかしながら縄文時代の遺跡からほとんど殺傷された遺体が見つかることは殆どありません。

弥生時代以降の大陸から人々が流入するようなってからの遺跡群からそれらが数多く出てきています。

このことからも「人々と調和を図る」ことは縄文の精神(自然なこと)であったと考えられます。

現在の日本は日々近所の争い事から他国との争いまで絶えることのない社会となっていますが、かつての日本は武士が刀を置き精神を鍛える社会を作り上げました。

それらは自然や人との調和を(自然に)重んじる縄文の精神がにじみ出てきたものと思うのです。

三つ目の若者の冒険とは、翡翠で作られた勾玉などの装飾品が北海道や東北の縄文遺跡で見つかっています。

この翡翠は新潟県の糸魚川のものであることが分かっています。

5,000年以上前の人々が日本各地を交易していたことが明らかになりました。

また当時の貝塚からマグロやメカジキの骨も見つかっています。

当時の船といえば丸太を石斧等でもって削ったものです。

それでもって漁業を行い、海洋を航海していたとなると縄文人の逞しさがうかがい知れます。

そしていつの時代も冒険心でもって新たな世界を切り拓いていくのは若者です。

当時の平均寿命は15才ともいわれます。

けれどもそれは乳幼児の死亡率の高さもあったでしょう。

逆に言えば逞しきものが生き延びたともいえます。そ

れ故に未知への冒険心も大きかったことでしょう。

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この自然との調和、人々との調和、若者の冒険心、これらが縄文のベースとなる3要素であり、それらが今日まで日本の型を作り出す土台となっているのです。

(さらにこの大本に日本の磁場がありますが、それはまたいずれ…。)

揺れる西洋と第3の道

さて西欧の歴史を見てみるとそれは自然との対立、人々(民族)の対立であったことが分かります。

文明は農耕と共に起こり、それは自然に手を加えることから始まり、やがては自然を克服する(支配する)という思想となります。

かつて緑豊かな地は砂漠化し、森林は切り拓かれ牧草地となりました。

また自分たちの安全、繁栄のために他の民族と争い、領土を守る、あるいは領土を広げていくことを繰り返し、強いものが勝ち支配することが当たり前となります。

服従しないものは時には民族そのものを滅ぼしてしまうこともあったでしょう。(その近代における典型がアメリカ合衆国ではないでしょうか?)

 

けれども人間は本来自然の中のもののひとつにしかすぎません。

また人々は平和や安心を欲する生き物でもあり、もともとはひとつの種から発展してきた生き物です。

にもかかわらず対立が繰り返され、強いものが栄華を誇り、弱者が切り捨てられ、人々の生活が疲弊していく。

そのような世界の中で生まれて来た論理的な智恵の1つが民主主義であり、社会福祉という概念ではないでしょうか。

現在西欧諸国は移民・難民問題で揺れに揺れています。

それによって各国の安全、安心が脅かされるようになっています。

けれどもこの事態の元をたどれば一方的な価値観の押しつけや対立、そして搾取であり、それは自らが蒔いた種によるものです。

同様に(これは西欧だけでなく地球全体のことですが、)人間はかつてない自然災害に脅かされています。

これもまた元をたどれば、人間を自然の上に置き、過剰なまでの自然破壊をしてきたことであり、自然を支配しようとしたことが原因です。

さて日本を訪れる外国人の隠されたもうひとつの理由とはここにあるのではないでしょうか?

対立し、争い、勝ち負け(上下関係)を決めるのではない第3の道。

すなわち「調和」これを求めてきているのではないでしょうか?

西欧諸国は大航海時代から世界を植民地化していく中で多くの民族を殺戮してきました。

そしてその手法は形を変えつつも現在も続いています。

けれどもその結果自分たちを恐怖に陥れることとなっています。

その解決手段「調和」を求めて日本を訪れているのではないでしょうか。

縄文の響き再び

日本は不思議な国です。

縄文時代終盤(?)から大陸や海洋から人々が流入しつつも、彼らと融け合うことができました。

その証拠に日本語はどこにもない言語です。

漢字は使えども中国語とは違います。

もちろんハングルとも違います。

入ってくるものを取り込みつつ、独自のものとして存在させる。

この絶妙なる技、調和を求めているのではないでしょうか。

それは自然もその一つです。

日本は農耕文化を取り入れ、農地開拓を繰り広げながらもその調和を図ってきました。

残念ながら今の日本はそうとは到底言い難いですが、まだその美しさは残されています。

外国人が日本を訪れる奥深くにある理由のもう一つはこの調和(する方法)にあるのではないでしょうか。

いにしえの面影を残しつつも調和する方法、これらは縄文に生きた人々のあり方がもたらしたものです。

残念ながら縄文ベース三つ目の要素である若者の冒険は現在の日本に求めることは難しいことかもしれませんが、もしかするとどこかにそれを復活させてほしいと要求しているところもあるのかもしれません。

世界が混沌の中にある現在人々は日本の中にその答えを求めているのではないでしょうか。

私たちはそのベースとなる縄文時代をサラッと流してしまうのではなく、じっくりと見直す必要があるのではないでしょうか。

縄文時代に文字は(おそらく)ありません。

けれども考古学の進展により様々なことが明らかにされつつあります。

そして何よりも今も私たちの日常の中に縄文は残されています。

縄文の女神(土偶)を眺めながら私たち自身の心の中を探ってみると何か呼びかけるものがあるはずです。

その為次回は縄文時代のこの3要素の更なる大本となる国土の磁場と縄文思想を考え、日本、世界の未来について考えてみたいと思います。

 

 




らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~

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