仕事とは?:アーティスト立花SISI太郎の場合

手に青い珠(地球?)を握りしめ、天に昇りゆく青龍

この絵をもってアーティスト立花SISI太郎は現れ、少しばかり自分のこれまでの経緯を話してくれた。その話に興味を持ち、後日あらためてその話を詳しく聞かせてもらったところ、私の中に湧き出てきたものがあった。


ほとんどの人は高校・大学を、近頃では大学院を経て、仕事に就く。
当たり前のように思えることだが、なぜ人は仕事をするのか。働くのか?

ネットで「仕事とは」と調べると次のように出てきた。

 1. 生きていくためのお金を得るため
 2. 自分自身が成長するため
 3. 能力を上げ、自己実現するため
 4. 社会の役に立つため
 5. たくさんの人と出会うため
 6. 自分の趣味や休日を楽しむため
 7. 没頭して人生を楽しむため

なるほどなと思う。
けれども②~⑦に関しては、フレッシュな時には考えるのだろうけれども、大抵の場合はいつの間にかそれらを失い①の生活をするためにお金を稼ぐこと=収入を得ることが第一目的となってしまうのではないだろうか。ビジネス中心の現代社会では生涯を通じてどれだけ多くのお金を稼ぐかということを人生の目的としている人もいるだろう。

このお金を得るために現代社会におてはほとんどの人がすることが、会社などの組織に属し、決められた場所で、決められた時間、決められた日数、決められたことをする、いわゆる「サラリーマン」となって働くということである。

この「仕事をする」ことは一見誰もがやっていることであり、誰もができることのように思える。今や障がい者でも「仕事する」ということが問われもする時代である。けれども本当にそうだろうか?「仕事する」ということは誰もができることなのだろうか?できない人もいるのではないだろうか?

そして本当は、それは当たり前にできることではなく、そうできるようにされているのが実情ではないだろうか。社会のシステムとなり、人々に信念・信仰のようなものとして埋め込まれているのではないだろうか?

生きていくためには働かなければならない。そしてお金を稼がなければならない。あるいは大人になれば仕事をしなければならない。働かなければならない。

それは子ども時代から「教育」という名目で十数年間かけて織り込まれているのだ。そのように洗脳されているのだ。それと同時に近代社会はまったくもってお金がなければ生活できないようにがんじがらめにされてしまった。

でも中には仕込まれきれない人もいる。
仕込まれることに、意識的であれ無意識であれ、疑問や反感を持って生きてきた人がいる。
子ども時代から好きなことをしてきた人。独特の感性を持ち合わせた人だ。

その一人がSISI太郎ではないだろうか。彼は子供時代まわりは田んぼと山で夜は真っ暗闇となるような場所で暮らしてきた。絵を描くのが好きだった。毎日夢の中に龍が現われるほどの龍好き?で、龍(ヤマタノオロチ)が現われる度に家を襲われ、焼かれ、驚いて目を醒ますと、おねしょをしていた…。龍の絵。今でも小学校3年の時に描いた龍の絵が一番うまく描けたという。

中学の時美術の先生が変わり、つまらない授業ばかりで絵を描くのをやめてしまう。きっと(少年の心の中の)自由を奪い、カタにはめ込むための美術の授業だったのだろう。無意識のうちにそれを拒否した。絵に興味を失った彼が次に見出したのが音楽だった。

Okan CaliskanによるPixabayからの画像

音楽は自由だ。多少の決まりはあれど自由に組み立てることができる。絵を描くと同様に自分の頭に浮かんだ想いを表現することができる。そこに加えて彼に大きな衝撃を与えたのが18歳の時にグラムロックだ。デヴィッド・ボウイ。男性であるにもかかわらず派手なメイクを施し、中性的な雰囲気を醸し出したビジュアル。それでもって官能的なロック歌う、自分自身をミュージシャンとして、アートとして表現する。これまで見たことも考えたこともない自由な世界がそこにはあった。

完全に仕込まれることなかったSISI太郎は、そのような世界に足を踏み入れたものだから、当然ながら好きなことは続けられるけれども、自己の意識に反すること(社会のシステムに組み込まれること)はできないし、続けられない。それを表現しようにも社会が認めてくれるとは限らない。(当時の成長著しい日本であっても認めてくれないことがほとんどだ。)彼がハマった音楽~ロックもパンクもブルースもこのガチガチに縛られた社会に対する反抗だ!

そのためお金を得るための仕事が続かない。製本、日雇い、溶接。どれも結局は規制やルールに縛られ、カタにはまった仕事となってしまう。けれども嫁との間に子供も生まれ働かなければならない。お金がなければ生きていけない。そんな社会システムの中で、自身も縛られ身動きでない。息苦しい。そうこうするうちに2人目、3人目が生まれ、少しでも多くの収入を得なければと思いはするが、それは彼の無意識に反するがゆえに、また職を転々としてしまう。

無意識の中では、なぜこんな決められたことを、決められたようにやらなければならないのだ、もっと自由を!と叫び続ける。

Daniele LongoによるPixabayからの画像

そして35歳の時、その叫びがひとつのカタチとなって現れる。工事現場で作業をしていた時に、クレーンに吊られたコンクリートの杭が頭に落ちてきた。

頭蓋骨が砕け、彼は半年間意識不明となる。人工呼吸器にカテーテルをつながれ生死をさまよう。一時的に意識が戻ったこともある。けれども彼はその時のことを覚えていない。いや、思い出したくもない。

しかしながらこの大事故こそが彼が縛りから解放される(唯一の?)手段だったとすると…。もしかするとそのために天から与えられた試練だったのかもしれない。

意識を取り戻した彼に、再び活動できるようになるために待ち受けていた試練は、高次脳機能障害だった。頭蓋骨が砕けるほどのけがであったのだから、脳がダメージを受けないはずもない。また半年間寝たきり状態となれば当然ながら筋力も体力も衰えてしまう。かつては何でもなかった道のりが歩けない。記憶力が失われ、すぐに忘れてしまう。ものが二重に見える。トイレに頻回に行きたくなる。

それらの回復のために行ったリハビリ。最初は辛いことでしかなかったが、それでも少しずつ回復していくことも分かる。リハビリとして行った水泳。だんだん泳げるようになり、目標距離に近づいていく。けれども脳のダメージで感情のコントロールがうまくできないこともあり、目標距離に近づくと嬉しくなって笑いだしてしまい、溺れてしまう。卓球も百往復が目標で、それに近づくと笑ってしまいミスをしてしまう。

リハビリを続けたおかげで、日常生活を送れるまでになったが、完ぺきに治ったわけではない。死んでいてもおかしくないほどの事故を負ったのだから不便も残る。高次脳機能障害は残った。記憶力も回復したが、話しの話題が変わると、それまでのことを忘れてしまう。

andreas160578によるPixabayからの画像

事故で人生観は変わった。
18のとき東京こそが日本で一番と思い、大都会へ出てきた。バンド始めたのはいいけれど田舎者だからしゃべるとボロが出てしまう。格好つけるためにしゃべらないようにした。いつのまにか無口になった。でも…、今じゃあ格好つけても仕方ない!
そして、人間、いつ何時何が起こるか分からない。ならば後悔はしたくない。だから本当にやりたいことを(できる範囲で)やっていこう!

仕事中における事故。労災。
彼は生死さ迷う大事故に遭い高次脳機能障害という代償を負ったもののがんじがらめに組み込まれたシステムから抜け出すことができた。自由を得たのだ。

リハビリの一環として始めたちぎり絵。脳のダメージにも関わらず不思議といつまでも続けることができた。かつて子供のころに描いた絵。龍。好きだった音楽。そういえばかつてブルースにハマった時は、ブルースタップ持って毎日仕事に行っていた。ブルースハープ(ハーモニカ)を吹きながら家に帰っていた。吹きすぎて唇の端が切れて血が出ていた。でも子どもたちはその音を聞くとパパが返ってきたとお迎えに出てきてくれた。

絵を展覧会に出してみた。ライブもやってみた。みんなからかけられる言葉や拍手はたまらなかった。自分の好きなこと、やりたいことは日常の中にあった!。

子どものころから、自分の興味のあることには、恥をかいても自分の方から行く。そんなこともあり、好きなことをしていると、出会もやってきた。賛同してくれる仲間が現われた。一緒に活動もしてくれる。彼らが後遺症として残った高次脳機能障害のカバーもしてくれる。絵や音楽だけじゃない。故郷に戻り暮らしていく中で、障害を通じて、農福連携という新たな夢もできた。障がいがあるなしに関わらずみんなが仲良く楽しく過ごせる場所を作りたい!

そして自分の絵を評価てくれ、かつ師匠とも呼べる人との出会いもあった。その人のお陰で自分の絵は向上した。絵やバンド活動だけでなく、インスピレーションまでもが高まり、次から次へと展開が始まった。「宇宙と地球をつなぐ」ことが始まった。

今自分に仕事という感覚があるのかどうか?インスピレーションが降りてくると夜中であろうが起きて絵を描く。するとまたインスピレーションが降りてきて、没頭して絵を描着続ける。
絵を買ってくれる人も現れた。

それを仕事というのかわからないけれど、

  1. 自分自身が成長するため
  2. 能力を上げ、自己実現するため
  3. 社会の役に立つため
  4. たくさんの人と出会うため
  5. 自分の趣味や休日を楽しむため
  6. 没頭して人生を楽しむため
    ここにはあてはまるようにも思う。

事故のことを今でも「罰が当たった」とも思う。確かに高次脳機能障害という後遺症は残った。娘と一緒に飲みたいけれど、飲めない…。その代償は大きかった。

けれども生きる意味を問うこととなり、それが好きなことをすることに繋がり、現在がある。みんなの助けが、自分の中のおもちゃ箱を開いてくれた!天高く昇りゆく青き龍のごとく「宇宙と地球をつなぐこと」に向かっている。


立花SiSi太郎twitterはこちら




らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする