新時代の開拓法~開墾から学ぶ①~

3月に150㎡ほどの耕作放棄地を借り、4月から少しずつ開墾し始めました。

その土地は15年ぐらい年前まで畑として使われていたそうですが、いつのころからか防草シートが敷かれずっと放置されていました。

長年の歳月の経過によって防草シートも痛み、シートを突き破り草が生え、それがところどころで2m以上の木となっているところもありました。またシートの上に土が溜まりそこに草が根を張り、種を落とし、また草が生え、いつしかシートが敷かれているのが分からないぐらいに草茫々となり、誰が見ても耕作放棄地そのものでした。

その地を地主から(とりあえず無償で)借り受けることとなり、まずはシートを突き破り木となっているものをノコギリで伐採し、更にはシートの上に生えている草を除けていきました。

ようやくシートがむき出し状態となり、続いてシートをはがしていこうかと思えば、50㎝~1m間隔でシートを留めるU字の杭が打たれていました。

その杭を抜こうとバール(釘抜)やペンチを使って引き抜こうとするのですが、なかなか抜けません。気合を入れ、踏ん張り、全力で引っ張るとようやく杭が抜けました。その杭を見てみると鉄製であったため先端が錆びつき元の太さの3~5倍の太さとなっていました。

何本も何本も杭を抜いていき、10メートルぐらい進んだところで、一旦防草シートをはがすのをやめ、夏野菜を少しでも育てたいので、今度は畝を作ることにし、鍬(備中鍬)で大地を掘り起こすことにしました。

ところが今度は草の根だらけでした。しかもその根は普通の根ではなく、中には直径5、6㎝はあろうかという根が次々と出てきました。そのため何度も根っこが鍬に引っかかり、その都度力を入れて引っこ抜く作業に追われました。しかも掘っても掘っても次々と根が出て来るのです…。

更に伐採した木の根っこを取り除くために、シャベルでひたすら根の周りを掘り起こし、太い根はノコギリで切り、再びシャベルを根の下まで突き刺し、全力で根っこを掘り起こす作業にとりかかりました。ひとつの根を取り除く度に汗だくとなりながら、3,4本の根っこをおがしました。

畑の近所に住んでおり農業を営む人が私の作業の様子を見て、「耕運機で耕してあげようか?普通ならお金もらうけれど、ただでやってあげるよ。」とありがたいことに申し出てくれたのですが、

丁度二宮尊徳の話しを聞いた直後であったこともあり、「手作業でやりたいので大丈夫です。今度必要となった時にお願いします。」と(丁重に)断ってしましました。

以降ほぼ毎日、腕一本、鍬一本で大地を掘り起こしては、根っこを取り除くという作業を繰り返しました。作業自体は徐々に慣れてきましたが、5月となり日差しもだんだん強くなり、ただでさえ汗をかく作業がより一層大変なものとなって行きました。1~2時間するのがやっとです。手にはいくつもの豆ができ、更には昨年痛めた左脚(足首)が作業後はジ~ンと鈍い痛みが生じ、足が重くなるのです。

何とかキュウリやトマトなどの夏野菜を植える畝を作ることが出来たので、再び杭を抜いてシートをはがして、鍬を振って大地を掘り起こし、根っこを取り除いて、今度は6月にサツマイモを植える畝を作ろう!とコツコツ、コツコツと作業を続けてきました。

けれどもそれは決して苦行ではなくなっていました。むしろ喜びの多い作業でした。もともと誰にも邪魔されることのない自分の畑を持ちたいという気持ちが強かったこともあるのですが、そのコツコツの作業と、大地に鍬を振る力仕事が自分自身の力強さになっているように感じ、具体例をあげることは出来ませんが、この作業の全てがスゴイ学びだ、もしかするとこれまでの人生の最高の学びかもしれないと思えたのです。

もしあの時防草シートを全部剥がして、耕運機で耕してもらっていたら、この150㎡の耕作放棄地も2週間ほどで立派な畑となり、今頃は夏野菜がたくさん実り、キュウリにトマトにナスに取り放題!食卓には旬の野菜がズラリと並んでいるなんてことになっていたかもしれません。

けれども自分で耕すことを選んだがゆえに4ヶ月経った現在(8月5日)も未だに畑は完成していません。ようやく2/3~3/4が畝となり畑となったところです。それでもこのコツコツと作業を続けていくことが今でも最高の学びであり、更には自分自身が畑を作り上げていっているというアートな気分となり、それも単なるアートではなく自分自身と向き合い自分をも作り上げているのだと思える最高の時を過ごしているのです。

考えてみれば現在は何でも便利な時代です。機械やPC、スマホのアプリが何でもやってくれる時代です。かつて手間ひまかかった作業はそれらの発展により、ボタン一つ、親指一本で終わらせることができ、出かける必要もありません。調べ物など図書館へ行かなくとも、ネットを使えば簡単に調べるようになりました。

更に最近はこのような文章ものもAIに任せれば素晴らしい読み物としてくれるようになっていますし、現在私がしている畑を耕すということも無人の耕運機がやってくれる時代が来ようとしています。

けれども本当にそれでいいのでしょうか。なんでもかんでも機械やコンピューター任せでいいのでしょうか? PCを使い始めて多くの日本人は漢字が書けなくなってしまいました。炊飯器に任せることによって自分でお米を炊くことができなくなってしまいました。(カー)ナビの普及によって地図が読める人が少なくなりました。コンパスを使える人は一体どのくらいの数いるのでしょう?

なんだか便利さを手に入れる度に、どんどん能力を奪われているように思えます。その上この先文章作成も任せてしまえば、人間はいずれ考えることをやめてしまうのではないかとも思えます。そうなると人間はいつしか機械を使うのではなく、機械に使われる側に、機械の奴隷となってしまうのではないでしょうか。

そうなる時はそれほど遠くない先ではないように思えます。現に世界のエリート(?)層は世界の人口を減らそうとすると同時に、先端の科学技術でもって監視社会を形成し、私たちを奴隷的扱いにしようと考えている人たちもいますし、コロナの3年間がまさにその実験でもあったようです。

便利になると同時に、それを通じて差別的扱いを受けるこのような時代だからこそ、(すべての自由を奪われる前に)人間は原点を見つめなおす必要があるのではないでしょうか?

それは自分自身の手を使うこと、身体を使うこと、そして自分自身の頭を使うことです。これらをもう一度使い、自分自身を確認することが必要ではないでしょうか。

何も現在の便利さをすべて否定するわけではありません。それらの先端技術やPC(AI)も使うことも必要です。そのお陰で私たちは世界を広げることができ、また何が真実かを知ることができるのですから。それらを用いつつ自分自身の手や頭を使うことによって、より多くの人が自分自身の個性やオリジナル性を発揮することができるようになると思うのです。つまりは使い方次第なのです。

今回私はこの開墾作業を通じて、江戸時代並みの時代に戻ることができました。ここまで戻る必要はないかもしれませんが、人間の、あるいは自分自身の原点を見つめなおすことが、これからの時代を生きる上で必要だと思うのです。そのために手を使い、頭を使い、自分自身に何が必要なのかを選択する。

そこに未来の自分が奴隷的存在となるか、あるいはオリジナル性を活かし自分自身の世界を築いていけるかの分かれ目になると思うのです。

まもなく21世紀も四半世紀が過ぎることになります。いよいよ21世紀の本番に入っていきます。自分自身の手で未来を、そして世界を築いていきましょう!!
 




らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~

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