日蓮さんからの伝言~開墾から学ぶ②~

前回のブログで約150㎡(幅7,8m×長さ20m)ほどの耕作放棄地を腕一本・鍬一本で開墾始めたことを書きましたが、8月11日についに20mまで開墾しました。

4月から開墾を始めて、汗と土にまみれながら来る日も来る日も鍬を振り、コツコツと開墾作業を続けてきたのですが、約4か月半かかり遂に東の端から西の端に到達しました。

西の端に近づくにつれうれしくもなりましたが、そこそこ年齢と経験を積み重ねてきたこともあるのか、それともまだその先にすべきことがあるためか、それほどワクワクすることもなく、徐々に近づいているなという実感と確実にやって行くぞという気持ちが強く働いていました。

西の端に到達まであと1mほどとなり、あと一息となった時、ふと心に入って来たものがあります。それは何故か日蓮さんからのメッセージのように思えたので今回はそのことについて書きます。

日蓮さんは、鎌倉時代の仏教の僧侶であり、鎌倉仏教のひとつである日蓮宗(法華宗)の宗祖です。

日蓮さんは承久4年(1222年)現在の千葉県鴨川市に当たる安房国生まれます。16歳で出家し、鎌倉・比叡山などで11年間修行研鑽し、『法華経』こそ至高の経典であるとの確信を得て、1253年31才の時故郷の清澄山頂で「南無妙法蓮華経」という題目を高々と唱え日蓮宗を開宗します。

このころ日本では大地震・疫病・飢饉・暴風雨などの多くの災害が起こり、世間は不吉な雰囲気が漂いっていました。法華経こそが唯一の正しき仏典であるとの確信(信念)から彼は、念仏・禅・真言・律の他宗を邪宗とみなし、そのようなものを信仰するからこそ世が乱れているのだと鎌倉の辻で説法します。

また「立正安国論」を著して、世の災難はこれらの邪宗の信仰にある。このままでは外国から侵略されるぞ、と蒙古襲来を予言し、北条時頼に献じますが、その忌諱(きい)に触れ1261年伊豆伊東に流されてしまいます。

1263年許されて鎌倉に戻りますが、その後も他宗や幕府への攻撃を止めず、小松原の法難 (1264) 、竜口の法難 (1271) など度々の迫害にあい、遂には佐渡に流されます。

3年後の文永 11 (1274) 年に再び許され、甲斐の身延山に隠棲しつつ日蓮宗の総本山となる久遠寺を開き布教に努めますが、病気のため下山し、弘安5(1282)年武蔵国(東京)池上で没します。

確かに私は、仏教・神道大好きではあるのですが、仏教においては、1に空海さん、2に道元さんと真言密教、禅宗に重きを置いており、日蓮さんからは邪宗とされ批判を受ける立場にあります…。

あるいはこの開墾を始めるにあたって二宮尊徳さんの精神で行うぞと思っていたのですが…、尊徳さんの菩提寺は曹洞宗(禅宗)のようですし、尊徳さんが説いた報徳思想は、神道・儒教・仏教のそれぞれの考え方を参考にし、「至誠(しせい)」を基本とし、「勤労(きんろう)」「分度(ぶんど)」「推譲(すいじょう)」を実行するものであり、これもまた日蓮さんの思想とは違っているように思え…、

それでも何故かこの時降りてきたメッセージは日蓮さんのように思えたのです。

では、そのメッセージとは、

(〈日蓮とは、時代は末法の世にあることを説き、その改革を率直に訴え、上(朝廷)から、他宗派から忌み嫌われ、叩かれ、島流しにあったと思われがちであるが、〉末法の世すなわち終末論を唱えることよりも、新しい世界をクリエイトすることを重視していたのである。)

新しき世を創造するのに必要なものの第一は、あきらめない心=「絶対にあきらめない」ことであり、それをそれを自分の信念に組み込んでコツコツと積み重ねて行くことだ。

というものでした。

後日日蓮さんに関するYoutube動画を見ていると、日蓮さんとは「信念の人である」との解説がされていました。


さて、私がこの開墾を始めたひとつの理由は、「地域には農地が必要である」という想いからです。

私の住んでいる地域は、かつては田んぼがたくさんの地域でした。子ども時代は田んぼや用水路が遊び場のひとつでした。それが年々宅地化され、今やすっかり住宅エリアとなり、残された農地はわずかしかありません。そしてこの残された農地も開発業者・住宅会社が虎視眈々と狙っています。

20代のころ東京など首都圏で暮らしていた私にとっては、農地のある暮らしこそが地域の豊かさの象徴に思えます。宅地化・商業地化されアスファルトやコンクリートで塗り固められた地域は息苦しく感じます。

「農地(自然)があってこそ、それらと共生してこそ人々の暮らしは豊かである。」と思うのです。Uターンしてきた身であるからこそ感じることかもしれません。

もちろんいろいろなお店が出来るのは結構なことです。けれども地域に3軒も4軒ものドラッグストアはいりませんし、コンビニを始めチェーン店ばかりが並び立っても、便利ではあるけれど、あまりうれしくありません。それよりも個人が経営するその人の個性や想いが感じられるお店が出来て欲しいなと思うのです。

そこで私はこれを現在流行のSDGsに対抗して、SGRs(Sustainable Resurgence Goals持続可能な再生〈復興〉目標)と名付けました。(正直SDGsって好きになれないんですよね。その理由はここでは触れませんが…。)

残された農地(耕作放棄地も含む)を家庭菜園や地域農園とし、またフリースクールを作り、それらを通じて、地域の人々がつながり、健康で持続可能な生活をする。というのが目標です。

(フリースクールについてはまた今度書きたいと思いますが、)この目標に向かって決してあきらめることなく、コツコツと取り組んでいきたいと思うのです。

ところで、なぜ日蓮さんからのメッセージが届いたのか?

時代はまさに終末と言ってよい状況です。おかしな病が流行り、おかしなものを打て打てと強制され、陰謀うずめく事件や火災が世界中で発生し、そしてどこへ行くやら分からぬ台風。さらにはグレートリセットというこれまた陰謀だらけのようなものが…。

そのような中できっと今の私の想いが、そして新しい世界を目指してこの4ヶ月半のコツコツの作業が(時代を超えて)日蓮さんのものと共鳴したのでしょう。

いずれにせよ今回のこの計画を日蓮さんも応援してくれているように思うのです。

どちらかというと変わり者と周囲から思われている私(←これも当時の日蓮さんに似ているかも???)ですが、あまり周りから忌み嫌われないよう少しばかりの気を使いつつ、「決してあきらめない心」でもって21世紀をクリエイトしていきたいと思うのです!!





らいふあーと21~僕らは地球のお世話係~

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