3年前の2018年7月7日西日本豪雨が発生した。広島県や岡山県を始め西日本各地で河川の氾濫などの被害があった。愛媛県でも各地で浸水被害があったのだが、特に南予地方と言われる愛媛県南部では河川の氾濫、土砂崩れなど多大な被害が発生した。その一つ大洲市では市を流れる肱川が(上流のダムの放流もあり)氾濫し、多くの家々が浸水被害にあった。
私の友人の拠点も被害にあった。被害にあった翌々日の状況が下の写真だ。
この家は築80年の古民家であり。かつてはここで醤油づくりが行われていた。しかし30年以上前に醤油づくりは廃業となり、いつしか誰も住まなくなり、ずっと空き家の状態が続いていた。
この地域は日本の多くの地方の田舎町と同じように、若い人々は高校を卒業すると都市部へと出ていき戻ってくることはめったにない。そのため高齢化がはどんどん進み、人口は減少していた。
彼女は子ども時代この地域のずっと奥(山間部)に住んでいた。皆と同じように高校卒業と同時に都会へと出て行ったのだが、約10年前に実家に戻ってきた。いわゆるUターンだ。そしてこの地域に少しでも活気を取り戻したいと思いこの古民家に目をつけた。そしてここを地域づくりの拠点としようと考えた。
彼女とそのパートナーは、その家の持ち主と交渉し、使用を認めてもらった。しかし長年誰も住まなくなった家の傷みは相当進んでいた。そこで彼らはNPO法人を設立し、いくつかの助成金を利用してその家の改修を進めていた。そんな最中に豪雨が襲った。
その家は肱川のすぐそばにある。私が訪れたのは災害2日後であり、ある程度ごみが出されていたものの、それでもまだ泥やごみが至る所に散乱していた。家の1階部分は完全に浸水したようで、土壁は落ち、畳は家の奥へと流され、奥の部屋の敷板は折れ、そこに何枚もの畳が突き刺さるように積み重なっていた。正直片付けようにもどこから手を付けてよいのか分からない状態だった。
その日1日片づけを手伝ったのだが、それでもまだまだ家の中は泥だらけ、ゴミだらけであり、片づけが終わるのは一体いつのことになるのか分からない状態だった。いや、正直家の骨格だけがかろうじて残っているといってもいい状態であり、本当にまた使えるようになるのか疑わしい状態だった。
それから2年。仕事の都合でわりと近くを訪れることがあり、時間もあったので電話を入れてみるとちょうどそこにいるという。そこで車を走らせ寄ってみることとした。実に2年ぶりだ。(実は2ヶ月後ぐらいに訪れたのだが、その時彼らは留守だった。)
ここで少し言い訳的に加えておくと、災害直後にそこを訪れて以降片づけ作業を手伝っていない。なぜなら私が行った日も、私以外に2人片づけの手伝いに来ており、彼らの豊富な人脈からしてこの先も多くの人が手伝いに来るだろうと判断したからだ。そこで私は大洲市や宇和島市の社会福祉協会が立ち上げた災害ボランティアセンターを通じて助けを必要とする人の元へ訪れる復興ボランティアに切り替えた。
20分ばかり車を走らせ、橋を渡りすぐ右折し肱川沿いを走る細道へ入った。道路は修復されてはいるもののまだところどころかつての傷跡を残していた。5、600mほど車を走らせるとそこにはあの古民家があった。一見すると外観はそれほど変わっていない。かつての面影そのままだと言ってもいい。それでも見違えるように整備されていた。車を脇に止め入口のドアを開けるとそこは別世界となっていた。
その日はお休みの日だったのでお客さんは誰もいなかったのだが、かつて醬油屋として醤油を製造販売し、その後長年廃墟化していたその家は、新たに古民家カフェに生まれ変わって息を吹き返していた。床はコンクリが打たれ、地元の木材を使った大きなテーブルが置かれていた。まだオープンして間もなくでコーヒーやスイーツの提供だけだったのだが、次からランチも始めるとのことで、メニューは何にしようかとアイデアを出し合っていた。
あの災害直後にみたボロボロの空間はその後業者さんに入ってもらいながら2年かけ自分たちの手でリフォーム(?)され、懐かしさを感じるカフェ空間となっていた。ただただ「よくここまでもってきたものだ!!!」と感嘆するしかなかった。
それから約1年。今度行く時にはお祝いを持っていかなくてはと思いつつもなかなか訪れる機会がなかった。しかしある日降り続く雨のせいか、それともたまたま彼らの活動を紹介した番組を見たせいか突然訪れたくなった。何の連絡もせず昼から車を走らせること約1時間半。再び肱川沿いの細道に入り約600m。1年前と同じ古民家があった。
しかし今度は14時を過ぎてランチタイムも終わっているはずなのに横の駐車場は車でほぼいっぱいだ。一瞬行くのをやめようかと思いそのまま前の道を通り過ぎた。それでもせっかくここまで来たのだからと思い直し、車をUターンさせ、空いている駐車場に車を止め店に入っていった。
大きなテーブルは前回と変わらずにおかれていた。けれどもそこはお客さんでにぎわっていた。座敷席にも何名も人がおりいろいろな人の声がする!店の奥では店主2人とバイト(後から分かったのだが実はお客として来ていた元地域の人だった…。)が忙しそうに作業していた。カウンターが空いていたので、そこに座り、初めて「やあ、お久しぶり!」の挨拶。忙しそうなので遠慮がちにコーヒーを注文した。
まだランチを提供しなければならないお客さんがいるようで、慌ただしく手を動かしていた。そのため話しかけるのも気が引けたので、話しかけられたときに答えるぐらいでしばらくおとなしく座っていた。隣の席に地元の人がやってき、紹介してもらったのをきっかけに話しをすると、
「ここができてからオープンの日は毎日来ています。みんなが集まれる場所はいいですね~。何十年ぶりかに会う人も多いです。」と嬉しそうに話してくれた。そして店主に「今度のランチの予約(テーブル席)大丈夫?」「もちろん大丈夫!」と。近々かつての同僚たちとこの場所で会う約束をしているらしい。
彼らはこの場所を見事に古民家カフェとしてよみがえらせただけでなく、地域の拠点として再生したのだ。彼らは長年の想いを実現したのだ。
更に「2階もまもなく出来るのだって?」というと、ぜひ見てみてとのことで、2階に上がってみると、そこはこれまた情趣深く、落ち着いた客間となっていた。もうすぐ1日1組限定の宿となるとのこと。
障子戸と障子窓があり、障子戸を開けるとそこはテーブルといすが置かれた空間となっており、竹林を見ながら作業したりお茶を飲んだりすることができる。障子窓を開けてみるとガラス窓があり正面道路とその向こうには肱川が流れている。晴れ続きの穏やかな日ならばカヌーが楽しめる場所なのだ。けれどもその日は降り続く雨の影響で増水しており、茶色い水が勢いよく流れていた。
それを見て、今の世の中、日本の気候もすっかり変わってしまい、いつまた豪雨が来てもおかしくない状態なのに、ましてこの場所ならあんなことがまた…と思えば、あきらめてもおかしくない。にもかかわらず彼らはこの場所をカフェレストランどころか、宿泊の場所にまで持ってきた。この不屈の精神はただものではない。きっと彼らの地域再生の情熱が不安を超えて前へ前へと進めてきたのだろう。そう思わずにはいられなかった。きっと彼らに天は味方したのだろう。逆境の中でも不屈の精神で歩んできた彼らを天が見放すはずがない。そう思わずにはいられない。やはりお天道様は見ているのだ。私の胸の内に再び熱いものがこみ上げてきた。
コロナ禍もまだしばらく続きそうだ。この先一層激しくなることも予想される。そんな中で多くの人が不安で動けなくなっている。その不安は彼らも同じだ。その上に豪雨の不安も重なっているならばなおさらのこと。それでも彼らは行動し、自分たちの想いの世界を切り拓いてきた。これって今の私に、私たちにも必要なものではないだろうか?
もちろん待つべき時もあるだろう。特に現在未来は本当に不透明だ。この日の肱川の水のように濁っている。水かさはこの先引いていくのか、あるいはますます増すのか分からない。もしかすると生命の保証も通常よりも低いかもしれない。そんなときには待つ必要もあるだろう。一番ダメなのは優柔不断ではないか。優柔不断で無駄死することほど愚かなことはないのではないか。この間にもできること、やるべきことはあるはずだ。それを行い、しかるべきタイミングを見計らい打って出る。そのような状態に自分をもっていっておくべきではないだろうか。
最後に彼らは古民家の土壁の一部を修繕せずむきだしのままにしている。その意味はこの家(の再生)は未完成であるということ。完成してしまえばあとは下りに向かっていくだけ。けれども未完成ならば完成に向けてまだまだ上っていく。
彼らはどこまでも前へ前へと進んでいく。