天からの啓示か、ただの偶然か…。

世界は混乱の最中にあります。ハルマゲドンと言っても過言でもないでしょう。まさにこれが日月神示でいう「大峠」ではないかと思い、十年ほど前に購入した日月神示の書籍を手に取りました。そして何も考えずなすがままに本を開きました。それを2回繰り返したのですが、そのページに書かれていた内容を書き写します。

ちなみに日月神示とは、昭和19年から34年にかけて千葉県にある麻賀多神社にて神典研究家で画家でもあった岡本天明に「国常立尊」(別名、国之常立神)と呼ばれている高級神霊からおろされた預言であり、未来に起こる日本(世界)の終わりと再生が記述されているとされています。


第二八帖(七〇)
 またたきの間に天地引っ繰り返るような大騒動が出来るから、くどう気つけているのざ、さあという時になりてからでは間に合わんぞ、用意なされよ。戦いの手伝いくらいなら、どんな神でも出来るのざが、この世の大洗濯は、我善しの神ではよう出来んぞ。この方は元のまま身体持ちているのざから、いざとなればどんなことでもして見せるぞ。
 仮名ばかりの神示と申して馬鹿にする臣民も出てくるが、しまいにはその仮名に頭下げて来ねばならんぞ、仮名とは⦿の名ぞ、神の言葉ぞ。今の上の臣民、自分で世の中のことをやりているように思うているが、みな⦿が化かして使っているのに気づかんか、気の毒なお役も出て来るから、早う改心してくれよ。年寄りや女や盲、聾ばかりになりても、まだ戦やめず、⦿の国の人種の無くなるところまで、やりぬく悪の仕組もう見ておれんから、⦿はいよいよ奥の手出すから、奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、身魂曇りているから、それでは虻蜂取らずざから、早う改心せよと申しているのぞ、このことよく心得てくだされよ、⦿急けるぞ。 八月二日、ひつくのか三。

 

第二九兆帖(七一)
 ⦿の土出ると申してありたが、土は五色の土ぞ、そろぞれに、国々、ところどころから出るのぞ。白、赤、黄、青、黒の五つ色ぞ、薬のお土もあれば食べられるお土もあるぞ。⦿に供えてから頂くのぞ、何事も⦿からぞ。八月二日、十二⦿

 

第五帖(二六二)
 この神示は心通りにうつるのぞ、思い違うといくら神示読んでも違うことになるのぞ、心違うと今度はどんなに偉い神でも気の毒出来るぞ、この方は悔やむこと嫌いぞ。
 次の世となれば、これまでのように無理に働くなくても楽に暮らせる嬉し嬉しの世となるのざが、臣民、今は人の手に握っているものでも叩き落として取るようになりているの座から、⦿も往生ざぞ、⦿は人民、楽しんでやりたいのに、楽に狎れて、自分でしたように思うて、⦿を無きものにしたから、今度の難儀になってきたのざぞ、そこにまだ気づかんか、キが元ぞと申してあろうがな、早う気づかんと間に合わんぞ。この⦿は、従う者にはおだやかざが、逆らう者には鬼となるのざぞ。三月十日、十二⦿。
  

「〔完訳〕⦿日月神示」 岡本天明・書 中矢伸一・校訂 ヒカルランド より転載
※⦿(本来は〇の中にゝ)は、「神」、「ひつく」「ス」「ヒ」など、文脈に応じて読み方が異なるが、普通は「神」と訳されることがほとんどなので、特にルビのない限りは「神」と読んで差し支えないとのこと。

  

ということでこの3つが出てきました。日月神示にはこのような警告であるとか、災難を乗り越えた後の(みろくの)世のことなどが永遠と書き綴られているので、この3つが天からの啓示かどうかは分かりませんが、ヒントがあるようにも思えます。

宗教であるなしにかかわらず、いずれにしても信仰心をなくし、今だけ金だけ自分だけとなってしまった人間への警告ではないでしょうか。

私たちは今一度天の力(見えない世界の力)を知り、もっと謙虚に生きることが必要ともいます。私たちは決してお金の力で生きているわけではありません。宇宙や地球の恵みによって生きており、生かされているのです。そのことをもう一度振り返り、天と大地と共に生きる道を選択する必要があるのではないでしょうか。

土は生きています。一握りの土の中には何億もの微生物がいます。私たちの身体の中にも100兆を超える微生物が生きているそうです。天と地と微生物と共に生きる、それが本来の人間のあり方ではないかと思うのです。
  

日月神示は少々怖いところもあるので
最後は宮崎駿映画「天空の城ラピュタ」で締めます!


土に根をおろし風と共に生きよう

種と共に冬を越え鳥と共に春をうたおう



 

katsuwowによるPixabayからの画像


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