梅雨の中のファンタジー
梅雨のどんよりとした空は、あまり気持ちのよいものではありません。気温と湿度の上昇により蒸し暑さに襲われ、空だけでなく心も重くなってしまいがちです。そのせいかこのところ軽い鬱状態に襲われ、現実世界と自己の否定を繰り返し、何もやりたくない状態となっていました。
この間行ったことと言えば、食べることと寝っ転がってYoutubeを見ることばかり。それも大半が「〇味しんぼ」や「●ジャック」などのアニメーションという…、年甲斐もなくそれらを見続けていたのです。ただ時々政治経済に関するもの、未来予測、現代社会を批評するものを見て、サボっているばかりではないという言い訳づくりを行っていました。
ところがこの言い訳づくりがよかったのか、それとも弱り切った私へ天が手を差し伸べてくれたのか、ある日の早朝に世の中に対する新たな解釈が浮かび上がり、それと共に少しずつ力が蘇ってきたのです。
まだ100%とは行きませんが、こうして書きたい、書こうという力が湧いてくるようになりました。そこで今回はその新たなる現代社会の解釈を述べたいと思います。
社会の現状
先に書きましたが梅雨入りと共にアニメばかり見ていたのですが、それらを見続けて気づいたことは、これらはすべてファンタジーであり、そこに映し出されるのは現実世界とは違った架空の世界ということです。もちろんそれらが現実世界とまったく重なりあわないわけでもないのですが、基本作者の頭の中のものが絵となり映像となり映し出されているのです。私たちはその想像物に惹き付けられそれらを見続けているのです。すなわち私たちはこの間作者がつくり出したファンタジーの中に浸っているのです。
これはアニメーションだけではありません。映画、ドラマ、音楽、スポーツ、お笑い番組等も同じことが言えます。映画を見て泣いたり、笑ったりするのもそうですし、音楽を聴いて元気をもらったり、涙を流したりするのもそうです。これらはすべて私たちをファンタジーの中に閉じ込め、そこで私たちは興奮したり、感動したりしてその世界に浸っているのです。
しかしながら客観的に見てみれば、それらはすべて他人がつくり出した架空の世界や、過去の出来事であるのです。そして自分のことをしばしの間忘れさせてくれるものであったり、あるいは自分を置き換えてくれるものであったりするのです。
勿論それらによって力を得られることもあります。ストレスの発散がなされ明日に向けてのリセットとなることもあります。それはそれで素晴らしいことです。けれどもそこにはのめり込んでしまえば、現実と向き合うことを(一時的に)避けること、あるいは現実からの逃避に繋がりかねないのです。
なぜなら現実はどうかというと、多くの人々は企業や組織の中で一労働者として働き、企業の指示に従っているのではないでしょうか。企業は給与と引き換えに指示に忠実であることを要求し、企業の中で、あるいは与えられた余暇の中で自己実現することを望んでいるのです。
そして企業に従い続ければ、退職後も年金が支払われ、余生にある一定の安心を与えようとするのです。このことをほとんどの人がこれまで当たり前のこととして捉えていたのです。
しかしながら今それが崩れてきています。年金支給の年齢は繰り上げられ、退職後も元気な間はどこかで働き続けろと言われ、そのうち死ぬまで働けと言われそうです。
更に余生を安心して暮らすには年金だけでは到底足りないことも明らかになりました。そして遂には日本を代表する企業までもが決して最後まで面倒見ることはないよという終身雇用制の終わりを宣言するという、現実はかくも不安定で厳しいものとなっているのです。
政治経済とは
話しが変わりますが、現代の政治(特に国政)は国民をいかに抑え込むか、従えさせるかということを第一としています。一部の人々がつくり出した枠組みの中に民を押しこめ、その中にある選択肢の中での自由を与るようにしているのです。そうして人生のすべてを枠組みの中に閉じ込め、それ以外の世界(枠組みの外)があることを隠し続けてきたのです。
この仕組みづくりとその維持において政治がタッグを組んでいるのが企業(や組織)です。特に大企業とはより強固に手を結んでいると言ってもいいでしょう。そしてその企業や組織という集団になじめないものは鬱や精神疾患を患い、薬漬けとされ、反乱出来ぬようにしているのです。
元来の政治経済とはある意味一体化したものです。政治とは本を正せば、政(まつりごと)を治めることであり、神との対話です。天の意向を伺い、今後の方針を定めることです。すなわちそれは人間の指示ではなく天からのお告げです。しかしながらいつしか支配者層と被支配者層とに分かれ、権力者の意向と支配となり、民を従えさせるものとなり、それが今日まで続いているのです。
一時期デモクラシー(民主主義)が起り、民の代表が民の意をまとめ、民を導き守る。そして民に安全と安心をもたらすものとされたこともあります。それは一時的に実現されるかのように思えもしましたが、残念ながら崩れ去り、現在は権力者の支配が再び強化されようとしているのです。
また経済とは、その語源が「経世済民」から来ていることから、本来は世の中をよく治めて人々を苦しみから救うというものですが、こちらも残念ながら人々を枠組みの中に押し込め、その中で従わせるものとなっているのが現状であり、その枠組み維持のために利用しているのです。そして現状ではそれがほぼイコール「MONEY」となっているのです。
本来お金とはモノの循環をスムーズにして人々を豊かにするものです。けれども今ではそれが格差や貧困を生じさせ、多くの人々を苦しめ身動きをとれなくするものとなっているのです。
更にもうひとつの日本の呪縛をあげれば、日本人には、お上に従う、お上には逆らえぬという思想があります。この思想がいつの時代に生まれたものかは分かりませんが、(おそらく弥生時代からでしょうが)それもまたうまく利用して権力者たちは枠組みの維持を図っています。民に小さく与え、大きく奪うとなっているのが現代の政治や企業構造ではないでしょうか。
(Image by Andreas Lischka from Pixabay)
現実世界とは
さて話しを元に戻しましょう。現在日本人の多くが現実に目を向ければ、厳しさに取り囲まれているという状況だと思います。最近の調査では約半数の人々は生活が苦しいと答えています。
働けども、働けども最低限度の生活しかできないという人、毎日朝から晩まで単純労働を繰り返している人、あるいは生きるために悪いことと分かっていながらそれを行っている人、自分の意に反したことをしているという人も多いことでしょう。そうであるならば家に帰って許されたわずかな時間をアニメやゲームなどでファンタジーに浸り、一時的にでも現実から逃避することも仕方がない事なのかもしれません。そのためのモノは満ち溢れています。ネットを使えばほぼタダで手に入れるものも数多くあります。
ならば私たちはこのまま一生を苦しい現実を背負いながら、ファンタジーの中で夢見る生活を送って行くのでしょうか。
実は本来の人間はそのようなものではありません。一人ひとりが自分の現実を創りだすものなのです。与えられた能力でもって花を咲かせるものなのです。
そこには大きな花もあれば小さな花もあることでしょう。けれども花の大小は関係ないものなのです。それぞれの花を咲かせることが大切なのです。そのためにそれぞれにそれぞれの能力が与えられているのです。そしてそれでもってこの世に貢献していくことが本来の人間のあるべき姿なのです。
それをできるようにするのが政治であり、その花(能力)を活かすのが経済なのです。
しかしながら先にも書いたように、現在の政治経済はそのようになっていません。枠組みの中に抑え込み、従えさせることに使われているのです。1日8時間労働を強いられ、現実逃避させる。これで本当に良いのか、それさえも考えさせないようにしているのです。
それは大人に対してだけではありません。教育さえもそのための道具に使われ、子供のころから枠組みの中にとどめるように調教されているのです。
けれども現在明治から150年間続いてきた体制が揺らいでいます。これまでの仕組みやからくりが明らかになると同時に崩れつつあります。それは日本だけでなく世界で起こっています。この先益々この揺らぎは大きくなることでしょう。
それは言い換えればこれまでの枠組みから抜け出すチャンスが訪れてきているということです。けれどもそのことに気付かなければ、これまでの体制の崩壊と一緒に私たちも崩れていくこととなってしまいます。そうならないためにもまず必要なことは現実をしっかりと認識するということなのです。
現実と共に変化する
ひとつ言えることは、現実世界は自分の理想とは違うということです。それは遥かに違っていることも多いでしょう。おそらく大半の人がそうだと思います。でもホントはそれでよいのです。現実は理想の世界と離れているのは当然のことなのです。
それをどれだけ変えていき、理想に近づけていけるか。そこからいかによりよい現実を創りだすか。その変えていく能力が私たち人間には与えられているのです。そしてそのプロセスこそがそれがそれぞれの花を咲かすことにつながっているのです。それが故に「考え」「行動する」ことができるのです。そのことが今問われているのです。
人間に与えられた能力、それは想像し、創造していくことです。自分の頭で考え、行動し、新たなものを生み出すことです。そして誰かの、何かの役に立つのです。
それはたった一人のためだけかもしれませんし、あるいは大勢の人のためかもしれません。もしかすると人ではなく大自然に対してかもしれません。
いずれにしろ私たちは現実としっかり向き合い、そこからその状況をどのように変えていくか。それこそが私たちの存在価値です。それを生み出す力があるのが私たちなのです。そのためにファンタジーを一時的に利用することは結構なことであり、そのためにファンタジーがあると言ってよいのかもしれません。
宇宙は常に生成発展しています。宇宙とは常に変化しているものと言い換えることもできます。故に例え安定を得たとしても、それは一時的なものであり、いつしか揺らぎ始め、またその中で変化をしなければならなくなるものです。それが生成発展であり、成長となるのです。
当然のことながらこの宇宙の一部である私たちもその影響を受けずにはいられません。今私たちはこれまでにないほどの大きな変化、揺らぎの中にいます。それは大きく成長することができるチャンスともいえます。厳しい現実を直視しつつも、新たな世界を創っていきましょう。
もし現実に疲れた時にはちょっとファンタジーに浸って、エネルギーを得て、また次なる一歩を踏み出しましょう!それが令和の生き方であり、ファンタジーの使い方です。令和を、そして21世紀を楽しみましょう!!