日課
日課のひとつとして毎朝庭に出て、四方(東西南北)天地(宇宙と地球)に対して感謝を捧げています。それぞれの方角に向かい手を合わせ「おはようございます。今日も一日よろしくお願いします。」と言っているのですが、最後に空に向かって両手を広げ「地球のお世話係として宇宙いっぱいに生きたるで~!」と(心の中では大声で)宣言します。もし道行く人がその光景を見たならば変人!としか思えないでしょうが、(私にとっては)これを始めてから運がとてもよくなったと思います。
以前このブログで「宇宙いっぱいに生きる!」と題して書いたことがあるのですが、それは「自分が何人を意識して生きるか」ということでした。例えば日本人として意識するならば、あなたは日本人であり、地球人として意識するならば地球人であり、宇宙人として意識するならば宇宙人であると自分がどこに所属しているのかその意識によって変わってくる。新しい時代においては宇宙に所属する宇宙人としての意識を持ってこれからを生きていきましょうということを述べています。
そう提案した身でもあるので天地に祈りを捧げているところもあるのですが、正直言うと、現在の私はまだまだ地球人止まりであるところが多く、日常を振り返れば小心者かつ、せこい人間であることが多いのも事実です。それでも今回「宇宙いっぱいに生きる」という宣言がまた一つ具体化してきたことがあると気づいたので、それについて書こうと思います。
愛先生
3月に占星術界の大御所であられるマドモアゼル愛先生の「占星術講座入門編」を受けました。20年ほど前のこととなりますが、(多分車を運転した時だったと思うのですが、)とあるラジオの番組でマドモアゼル愛先生が今年の星座別の運勢を話されていました。私は蠍座なのですが、牡羊座から解説は始まり蠍座となり、愛先生は第一声に、「今年の蠍座は数十年に一度あるかないかというぐらいに幸運な年となります!」と話されたのです。それを聴いて「ホントかよ~!?」と思ったのですが、結果その年は実によくモテた一年となりました。それがマドモアゼル愛先生を知った最初です
ところで私は普段占いとは全く無縁な生活を送っているのですが、振り返れば一時期自分の不運を嘆いて占いに頼っていたことがあります。朝のテレビ番組、雑誌、あるいはネットの占いコーナーを見たり、時には本当にネットの占いにお金を支払ったりしたこともあります。それが当たったかというと…ですが、いつの間にかそのような時代も終わり、ここ十数年は占いなど気にもかけない日々を送っていました。そのため愛先生のこともすっかり忘れていました。
ところが数年前に周波数に興味を持ち音叉を購入しようとネットで調べた際再びマドモアゼル愛先生に出会います。実は愛先生は音(周波数)の研究もされており素晴らしい音叉を製作販売しておられたのです。その時愛先生はブログを書かれていることも知り、以来それを定期的に読み、1,2年ほど前からYoutubeを始められたのでそれも見るようになりました。(今ではyoutubeのみ?)愛先生のブログもYouTubeも占星術に関することもありますが、むしろそれは少ないぐらいで、普段は時勢の分析や愛先生の様々なものの見方や考えなどを述べられることが多く、それらが私には大変共感できるものなのです。そのためいつしかファンとなり、遂には先生の占星術入門講座を受講するまでにった次第です。
ホロスコープ
占星術のことはほとんど知らないという人もいると思いますので、簡単に説明すると、占星術ではホロスコープというものが使われます。ホロスコープとは、(詳しくはいろいろと種類があるようなのですが)基本その人が生まれた時刻と場所から見た星の配置であり、ひとり一人違ったものとなっています。同じ日の同じ時刻に生まれた人であっても、生まれた場所が違うならば、例えば東京とニューヨークで生まれた人ならばその配置は変わってきます。同じ日に同じ場所で生まれても生まれた時間が違えば星の配置は変わってきます。(今ではネットに無料で自分のホロスコープが作成できるたくさんのサイトがあるので是非作ってみてください。)
ホロスコープには、生まれたときに10の惑星(太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星)が天空のどこに位置し、どの12サイン(牡羊座~魚座)、どのハウス(1~12の区分)に属しているかが記されています。10惑星にはそれぞれ特徴があり、12のサインとハウスにもそれぞれ意味があります。
例えば太陽ならば、生命力やバイタリティなどを意味し、それがしし座に位置し、2ハウスにある。しし座はどのような性質を持っており(どちらかというと抽象的)、2ハウスにはこのような事柄を表している(どちらかというと具体的)。それらを読み解いて自分自身が(あるいはそのホロスコープの主が)どのような性格を持ち、どのような運命(?)にあるのかを読み解いていきます。(本当は惑星同士の角度の関係やその他いろいろとあるようですがここでは触れずに置きます。)
そうして自分はどのような特技やあるいは苦手を持った人間であり、どのように人生を歩んで行くとよいのかを読み取っていきます。もちろんそこには自分の性格だけでなく、恋愛や結婚に関するもの、職業に関するもの、あるいは人間関係に関するものなど様々なことを知ることも出来ます。ちなみにテレビや雑誌などでやっている星占い(ホロスコープ占い)は太陽が位置するサイン(星座)に特化したものです。
占星術の歴史をたどって見ると、占星術は紀元前2,000年古代バビロニアで発祥したそうです。かつて日食や月食は不潔な出来事が起こる予兆とされ、それがいつ起こるか占星術師は必死で計算したそうです。なぜならそれが分からなければ王によって首を切られるかもしれないという生命がかかっていたからです。それがいつしか占いとなり今では女性を中心に日常のエンターテイメントともなっているのですが、それでも4,000年以上研究されてきた人類最古かつ最長の学問でもあります。ちなみに肉眼で見える星は土星までであり、天王星、海王星、冥王星は発見された以降ホロスコープに加えられたもので、それらは潜在意識や無意識の世界を象徴しています。もしこの先新たに太陽を周回する天体が見つかれば、新たな項目が加わるかもしれません。故に占星術はその歴史的古さだけでなく現在も進化しているのです。それゆえ相当に奥の深い世界であり、それを完全に理解するには相当の能力がいるようにも思えます。それゆえホロスコープをどのように読むかは、読み手によっていろいろと解釈が違ってくるようです。また愛先生のような大御所になると星の配置から個人ではなく、日本や人類の未来の予測も出来き、これがまたよく当たるんですね~。
ということで講座を受けて以来この数か月間何度も自分のホロスコープと講座の要点を記したノートとにらめっこし、自分自身をひも解くこと行ってきました。ネットでいろいろな占星術のサイトを調べ、そこに書かれていることが自分にあてはまっていると思うものを採用し自己理解を進めてきました。結論として「私は大器晩成型であり、終わりよければハッピーエンド!」と(自己流で)解釈しました。そこでふと思ったのが講座を受けて以来、太陽がここにある、金星は、木星は、土星は、冥王星は…、それらをどう活かしていくかと考えている自分がいることに気づき、これはある意味宇宙を意識して生活を始めたのではないかと思ったのです。
星の配置は人生設計
以前の記事に「人生というアートの鑑賞会」というのがありますが、人間は(赤ちゃんは)親を選んで生まれてくること、生まれてくる前に今回の自分がどのような人生を送るのか、どのような課題(カルマ)を解決し、どんな使命を果たすのか等、おそらく神様(?)と一緒に設計するのではないかということを書いています。
今回ホロスコープを勉強してから「人はこの世に生まれるに当たってその計画を星の配置に標して生まれてくる」のではないかと思うようになりました。そんなことが出来るのかとも思いますが、現在の次元に暮らす私たちでいうならば計画をノートに記すような感覚でできるのではないかと思うのです。なぜなら生まれる前の世界(=5次元)はこの世界(3次元)よりも次元が高いので、星の配置を計算したり、それを標したりすることはいとも容易いことではないかと思うのです。
もちろんこの世に生まれて、すべてがその計画通りに動いている訳ではありません。なぜならこの世界には基本自由意思が与えられており、自分の意思によって人生の選択を行って行くのですから。故にその計画通りに行くか行かないかはその人次第であり、かなり計画通りに行く人もいれば、中には(悪魔の誘惑に負けて)まったくもって計画とは反対に終わってしまう人もいるのではないかと思うのです。そこが様々な人々が暮らすこの世と社会の醍醐味であるのかもしれません。もしかするとノートに書く際に漢字を間違えることがあるように、配置を間違えてしまい「あれ~?」ってことも起こっているかもしれません。
いずれにせよ私たちは宇宙、そしてそこに浮かぶ星々とつながっているのです。もちろんこの地球ともつながっているのであり、天地と私たちは一体なのです。故に(最初に書いた)四方天地に向かって祈りを捧げることは意味あることであり、とても良いことなのです。
星空を見上げよう
現在アウトドアが大人気です。スポーツ用品店だけでなく、ホームセンターやスーパー、100均ショップでもアウトドアグッズが売られています。海も山も、そしてキャンプ場も大賑わいのようです。キャンプに行くと分かるのですが、私たちが夜することのひとつは空を見上げることです。無限の数の星を眺めて様々な思いを抱きます。太古の時代から人々はそうして来たことでしょう。縄文時代に夜空を見上げるということは人々の日課の一つであったのではないのでしょうか。
なぜなら人々が夜空を眺めるのには深い意味があることだと思うからです。人々は星々を見ては無意識のうちに今の自分と本来の計画を比べているのではないでしょうか。そしてこれもまた無意識のうちに自分の(現実の、今世の)人生の修正をしようとしているのではないでしょうか。もしかすると縄文人はこのことを知っており、長老たちは子どもたちに星物語を語っていたのかもしれません。
しかしながら現在社会は、夜空を見上げるよりももっと気をひかれるものがたくさんあります。TVにユーチューブ、チャットに漫画に…。特に都会は、煌々と明かりがともされており、空を見上げてもほとんど星は見えなくなっています。それ故に星を見上げる機会はどんどん減り、今では夜空を見上げることなどほとんどないと言っても過言ではありません。キャンプに行ってもスマホゲームに講じる人もいるぐらいです…。
人々は天を見上げて自分を振り返ることなく、意図的に作られたものばかりを見ては社会に振り回されて生きているのではないでしょうか。それがゆえに多くの人々が迷い、悩み、ついには鬱状態にもなっているのではないでしょうか。
もしかすると現在ひとりキャンプが流行しているのは最後の抵抗かもしれません。ひとり星を眺め、無意識のうちに星と対話し、自分自身を振り返る。それが今の時代最も必要なのものなのかもしれません。
さあ、コロナ禍でがんじがらめに縛られているみなさん、街を飛び出して夜の星を眺めに行きましょう。そして自分自身を星の下にさらしましょう。そこは広大な宇宙があるだけでなくみなさんの人生の計画が刻まれています。それを確認して新たなエネルギーを得ましょう。屋内でゲームやSNSばかりに興じていると邪悪に取りつかれて取り返しのつかないことになるかもしれませんよ。